SSの本棚

書いたSS置き場として使ってみます。

特別なただの一日(マリア様がみてるSS)

※過去の自作の再掲です。
マリみてのキャラ視点…ではありません(正確にはとある作品とのクロスオーバーですが、そのままお読みいただけるとは思います)

ケーキが売れない。
通りに面した屋台で、私はほうっと溜息をついた。少しあくびも混じっていたかもしれない。
12月24日のクリスマス・イブ。街で遊ぶより、家に帰りたくなる日に、私は仕事をしている。
去年なんか、こんなことするなんて考えられなかった。今年も、そうしなくたって、祝うだけなら出来たんだ。
でも、私がどうしてもしたいことには、ちょっとの節約じゃ間に合わない。
だから初めて登録制バイトに手をだしたんだ。
けれど、その最初からこんな遠い街まで来ることになるなんて思わなかった。
私は毎年思っていた。24日になってからふらりとケーキを買う人っているんだろうか、って。本当に好きで、必ず買う人は前々から予約してるだろうし、もし突発的に思いついた人なら、コンビニか、自分の家に一番近いお菓子屋さんに行くだろう。だから、いつも商店街でケーキ売りの人を見ているたび、売り切るまで帰れないんだったら、今日はずっと帰れないんだろうな、なんて心配してた。
なのに今は、私がその可哀想な立場だ。
しかも学校の街で、住宅街じゃないこの街。ここからケーキを飼って電車に乗ろうなんて人はあまりいないと思う。
「すみません、ケーキ、いいですか?」
物思いにこれだけ浸っていて、あ、はいと反射的に答えられたのは立派だったと思う。答えてから、自分が何をしにここに立っていたんだっけ、と思い出すまでには時間が掛ったから。
ちゃんと思い出したところで、改めて私は感謝したいお客さんを見た。
襟のところに、校章のついたスクールコート。多分高校生。私とそう年は違いそうにない。赤と緑の、クリスマスカラーのリボンで髪をツインテールにまとめて、にこにことこちらを見ている。
この人とクリスマスを送りたい。誰もが口をそろえていいそうな、そんな幸せそうな表情だった。
「こちらのケーキは、2500円になります」
思わずこちらも、売る声が弾む。
長い袖の中から温めていた手を出して、一番上の白い箱を持ち上げる。
「お先に、ケーキです。3000円からお預かりします」
マニュアルを思い出しながら、100円玉を5枚取った。
「500円のお返しになります。ありがとうございます」

なんでもないはずのシーンは、そこで、事件に変わってしまった。

「あっ!」
お金を受け取ろうとして片手を離した瞬間、お客さんのケーキ箱がふらりとかしいだ。それを追いかけようと体を傾けた瞬間、彼女の鞄が、目の前に積まれていたケーキ箱にあたり、微妙なバランスが崩れ出す。
「え、ああ!」
数秒後の未来を察し、全速力で私は小さな身体を伸ばして箱の山を押さえた。
何とか大雪崩れは食い止めたけど。
ごと、ごとごと。
お客さんの手にあったケーキと、積んであったケーキ、あわせて4つが地面に転がり落ちた。
「ご、ごめんなさい!」「申し訳ありません!」
二人同時に謝った。
だけれどどちらに非があろうと、売り手と買い手、どちらが悪いといわれるかは決まっている。
「こちら、同じ物になりますので。気をつけてお持ちくださいね、ありがとうございました」
楽しかった気持ちは吹き飛び、声にも余裕がなくなる。
大急ぎでそれだけ言うと、私は大慌てで店の中へ駆け込んだ。

 店長に少し怒られて、うなだれながら私は店を出た。手に、補充のケーキ箱をもちながら。
「……」
 危うく、そのケーキも地面へ落っことすところだった。
 それは驚くだろう。
「あ、あの!」
先ほどケーキを渡したお客さんが、コートを脱いだ制服姿で、通りに向かって盛大に売り子をしていれば。
しかもご丁寧にも、私が落としていったサンタ帽をかぶって。
「あ、お帰りなさい。ちょっと借りました」
お客さんは、さっきと同じ笑顔で、悪びれもせずに私の手から補充分を取ると、山に並べた。
「な、何をなさってるんですか?」
「え? あ、ほら、やっぱり崩した分くらいは責任取らないとダメかなぁ、なんて思ったから。あなたもいなくなっちゃったし、誰も売り子がいなかったらお客さんも買えないだろうし」
帽子についている、白い雪玉を左右に遊ばせてその人は胸をはった。
「いない間に3つ売れたよ。あと1個でちゃんとお詫びできるね」
帽子をかぶるのに邪魔だったのか、彼女はツインテールに束ねていた髪をほどいていた。
そのせいか、さっきまでと少しだけ雰囲気が違って見えた。
無邪気な笑顔から、自信と優しさに満ちた微笑みへ。こちらが押しつぶされるほど飛びぬけているわけじゃないけれど、もし、言うとすればそんな変化だった。年下に見えた人が、今は年上に見える、そんな感じ。
こんな人が売り子をしていたら、私も、ふと足をとめたくなるだろう。魅力一杯の顔だった。
「で、でも困ります!」
「あと1個だから、お詫びさせてください」
彼女はそれほどこの仕事が楽しいのか、相変わらずにこにこ笑っている。そして呼び声をあげた。
そもそもスクールコートなんだから学校帰りなんだろう、大丈夫なんだろうか。
そう思った矢先、
「な、何なさってるんですか、お姉さま!」
通りに面した側から、すっとんきょうな声が聞こえた。
背筋をびくっとさせて振り返ると、そこには両耳の上で縦ロールを作った、小柄な高校生が立っていた。
黒に近い緑の制服……隣にいる『お客さん』と同じものだ。
「あれー? 瞳子?」
瞳子、じゃありません、お姉さま」
眉間に皺を寄せて、縦ロールの子が『お姉さま』を睨みつける。だけど「いつもの事」なのか、責める方も受けるほうも、どこかユーモラスに感じた。
ケーキの箱の上にぽんと手を置いて、『とうこ』と言われた高校生はこちらへ身を乗り出した。
「無許可でバイトなんかして。紅薔薇さまとあろうものが。下級生や先生方に見つかったらなんて言い訳するんですか」
「違うよ、これはボランティア、お金もらってないもの」
両手をあげて「まぁまぁ」なんてなだめる仕草をしながら、隣にいる、いまだに年齢不詳の高校生の人は彼女をなだめた。
「なんでそういう子供みたいな理屈をこねるんですか」
「ほら、シスターもよく言ってるじゃない、困っている人は進んで助けなさいって」
「――で、お姉さまはそちらの店員さんをどう困らせたんです?」
大きな瞳が、見事なまでに鋭くなった。
「う。す、鋭いね瞳子。実はね……」
相手の口から一部始終を聞きおえると、『とうこ』と呼ばれたその子は盛大に溜息をついて首を振った。
縦ロールがそのままの形で左右に触れる。ややあって、
「もう今年中言って、言い飽きましたけど、お姉さまは、紅薔薇さまとしての自覚がなさ過ぎます」
吹っ切ったように、びしっと指を突きつけて縦ロールの彼女は『お姉さま』と呼んだ人を叱り飛ばした。
「えー。やってるとだんだん面白くなってくるよ。ほら瞳子もやろうよ」
「結構です」
「恥ずかしがらなくなっていいじゃない。売り子なんて、学園祭のときもやったじゃない」
「あんな、あんなことさせられたことなんて、もう二度と思い出したくありませんわ!」
よっぽど触れられたくなかったのか、縦ロールをびよんびよん震わせて真っ赤になって女の子は噛み付いた。
それでも隣の彼女は、おお、なんてのんきな声でのけぞって見せている。
――今更ながらだけど、縦ロールの彼女の声、ものすごくよく通っている。
見回せば今の叫びに通りの人たちが何事かとこっちをみんな振り返っていた。そうとは知らない二人は、次第に会話を口げんかにエスカレートさせていく。
「あれー? 雪希ちゃん!?」
対処に困ってまごついた私のもとへに次にやってきてくれたのは、すっかり正気にしてくれる声だった。
「し、進藤さん?」
それでも驚きは隠せなかった。
遠い遠い街に、昨日まで同じクラスで授業を受けていた親友の顔があったのだから。
「どうしてここに?」
「雪希ちゃんのバイトって、ここだったの? 私はおばさんちがクリスマスパーティやるからってこっち来たの、寮生のお姉ちゃんがここの方が戻りやすいからって。でも今ろうそくがないからって、それから頼んでいたフライドチキンを取ってこいってわたしお使いにきたんだー」
いつもみたいな怒涛のような進藤さんのおしゃべりに身を任せていると、腫れた頭が冷やされていくような気がした。
普通は逆なんだろうけど、でも。
有難う進藤さん。この恩は忘れないよ。
「で、雪希ちゃん、何でリリアンの人が隣にいるの?」
リリアン?」
「えー!!! 雪希ちゃんが、知らないなんて……」
前言撤回。
その瞬間、耳を押さえたくなるくらいの絶叫を上げて進藤さんは引きつった顔を私に向けてくれた。
リリアンって有名も有名、私立リリアン女学園。お嬢さまだけが通える幼稚園から大学まである女子校じゃない。何で雪希ちゃん知らないのっ?」
「そ、そうなの?」
「そもそもリリアンの人が、バイトするなんてなんでだろう? 雪希ちゃん知らない? お嬢さまがバイトするなんてよっぽどの事情だと思うんだよねー。社会勉強? でもクリスマスって行ったらやっぱりドレス着て晩餐会とかするんじゃないかなーなんて思うんだけど」
たじろぎながら、私はちらりと、先ほどから放置している二人をみやった。
進藤さんの声もずいぶん大きい。これで気を悪くしちゃったら困るよ。
だけれど向こうは完全に二人の世界モードだった。こっちが家に帰っちゃっても多分気づかないんじゃないかってぐらい。
「え、えと。あの二人、じゃあ姉妹でお嬢さまなんだ。そうだよね、いいところなんだよね」
「何でー? あの二人神から顔から性格から全然似てないじゃない。どうしてそんなむちゃなこと思ったの雪希ちゃんは」
しどろもどろになって何とか繋いだ話を即座に否定して、しかもちょっとひどい言い回しで進藤さんは私の言葉を打ち切った。
「だって、さっきあの縦ロールの子が、相手を『お姉さま』って」
「あおれはたぶんあの学校の『姉妹』なんじゃない? 確かリリアンって上級生と下級生が学校の中だけ姉妹になる制度があるんだって」
「へぇ……」
ぽっかりと、嵐の中心に入ったよう。息が告げたよう。
少し唖然として私は二人を見やった。
身近な世の中の不思議に感動して。
「じゃあ、ロサ・キネンシスって言うのは?」
「そこまではちょっと、あ、でも雪希ちゃん油売ってちゃダメじゃない。天下のお嬢さまを代理に立てたりとかしてたら、それこそお店の人から大目玉食らっちゃうよ雪希ちゃん! そーだ、わたしお使いの最中だったんだ、じゃまたね雪希ちゃん! 新学期に今日の話聞かせてねー」
最後に一番長いマシンガントークをして、進藤さんは行ってしまった。ちょっと戻った調子も、いまはしっちゃかめっちゃか。
二人はまだ言い争いを続けている。
――結局状況は一向に変わっていなかった。
「おい祐巳。何やってんだこんなところで?」
そこへ、今度は男の人の声がした。
今度の使者は一体なんだろう。ちょっとだけ、いやすごく不安に思いながら、私は首を向けた。だけれど、
祐麒?」
隣の彼女が、毒気を抜かれたような声を漏らした。相手がいなくなって、口論もぴたりとやんだ。
こちらもお知り合いなのか、『とうこ』さんは『ゆうき』さんを見ると、ぱっと『ゆみ』さんから離れ、真っ赤になってお見合いのようにぎこちなく頭を下げた。
そこにいた顔は、最初のお客さん『ゆみ』さんによく似た顔立ちの、可愛らしいといいたくなるような男の人だった。
腹を立てたような表情でも、その印象は変わることはなかった。
「ケーキ買ってから帰るっていってたのにいつまでも連絡ないから捜してみれば……何回も鳴らしたのに、見てないだろ」
「あ……。ほんとだ、ごめん」
ポケットから携帯を取り出すと、『ゆみ』さんはがくっと首を前に折った。
『ゆうき』さんは『ゆうき』さんで、その様子にを見ると最初の『とうこ』さんに負けないぐらい大きな溜息をついてみせた。
「か・え・る・ぞ」
「……うん」
 理由は歩きながら話せ、というところがやっぱり男の人だからなんだろうか。
 そんなことを考えていると、
「姉がご迷惑をおかけしました」
『ゆうき』さんが、深々と私に頭を下げていた。
お、弟さん?
その事実に私はあっけに取られ、礼を返すことさえ忘れてしまった。
てっきり、私は……ゆみさんの思い人かと。
「ゆ、祐麒!」
「間違ったことは言ってないだろう。ほら、帰るぞ祐巳
「う、うん」
私の立ち直るのも見届けないままに、二人は歩き出していった。
私たちから十歩離れた時だろうか、躊躇いがちに『ゆうき』さんが『ゆみ』さんの腕を取るのが見えた。
その背を同じように見送っていた『とうこ』さんは、演技しているんじゃいかってくらいオーバーに、ぷいって憎らしそうに横を向いた。
理由はわからないけれど。
なぜかその三者を見て、私は心のそこから、可笑しくなった。


僅か30分ばかりの出来事。
だけれど、このおかげで残りの時間中、一度も退屈をせずに売り子を続けられることになったんです。

これが、昔、私が寒い日に経験した、あったかい嵐の話です。

日溜まりの夜(Kanon・あゆSS)

「ねえママ、どうしてママはボクっていうの?」
「……」
「ねえママ、どうしてママはうぐぅっていうの?」
うぐぅ……祐一君、意地悪だよっ」
「シミュレーションしてるだけだぞ」
そう言って、隣室のベビーベッドを俺は見やる。
先端に金色の星を飾ったもみの木の下で、ようやく寝床に釣り合ってきた子供が目を閉じている。
「今から練習しないと後が大変だぞ」
「いいもん、必要になったらできるもん」
「すぐだぞすぐ」
うぐぅ……できるったらできるんだよっ」
口を尖らせて言い返すあゆ。
でも、できるわけがないのは、昔から何度も何度も実証済みだ。
「じゃあやってみせろ」
「いいけど、じゃあボクも祐一君にリクエストするからね」
「ほー」
「こんなの簡単だよ」
息を吸い込む。
そして。一言。
「――わ、わたし、相沢あゆ、です」
失笑が爆発するのをこらえきれない。
「もうっ! せっかく寝たのに起きちゃうよっ!!」
「ムチャ言うな」
たった6文字を話すのに、息が苦しい。
まあ、逡巡しなくなっただけ成長と言えるのかもしれない。
「祐一君は本当に変わらないね。パパなんだよ?」
「しょうがないだろ、あゆ相手なんだから」
言われた言葉に、腕組みをしてふんっと顔をそらす。
「じゃ、ボクのリクエスト」
「よし何でも言ってくれ」
鼻で笑って、俺はあゆを見る。
「愛してるって言ってほしい」
「……は?」
既にあゆの腕組みは解けている。
反対に唖然呆然、口を開けた俺にあゆが畳みかける。
「きょうね『愛してるゲーム』っていうのを高校生がやってるのを見たんだ」
「なんだそれ」
「愛してるって真正面から言って、照れちゃったら負けってゲームみたいだよ」
スマホ世代は変なこと考えるな」
「素敵だよね」
「拷問だな」
「それ聞いて、そういえばボク、祐一君から言われたことないなって思ったんだ」
「……そうだっけ?」
茶化して矛先をそらせようとしたが、狙いは無視され、俺の防壁は正面突破される。
「うん。俺はお前のこと好きだぞ、とか、ずっと一緒にいような、とか一生大事にするっては言われたけど、ストレートに『愛してる』って言われたこと、ない気がして」
重ねられた事実の山に、俺が笑いは消え失せる。
注ぎ終わったシャンパンの泡が、止まって見える。
――完全に予想外だ、これは。
「言われたいな」
「……」
「ボクも、愛してるって言われたいな」
裏のない、まっすぐな微笑みに、俺はどんどん追いつめられる。
肌に汗が浮き、横たわったローストチキンのように光を照り返しているように感じる。
「祐一君が言ってくれたら」
「……」
「あの子もちゃんと寝るようになったし、久しぶりに、してもいいかなって、思ってたんだけど」
そう言って、じっと上目遣いで俺を見つめる。
ただ微笑んで、見つめている。
この反則技を出されたら、男は潔く負けを認めるしかない。
「わ、わかった。じゃあ立ってくれ」
「うん、いいよ」
ぴょんと飛び跳ねるように椅子から飛び跳ね、あゆは俺の目の前にやってくる。
見下ろす位置で広がる栗色の髪を、
「わっ」
躊躇せず俺は胸元に抱き寄せる。
ぽかぽかと、止むことのない日溜まりの温かさが、俺を充たしていく。
真冬の夜でも変わらない暖かさ。
青春の入り口に7年のハンデを負ってなお、少しも陰らなかった太陽の笑み。
幼い時から俺を捕えてしまったその姿を、俺は取り込むように抱き寄せる。
「……ボクのからだ、あったかいかな」
「……当たり前だろ」
冗談でするにはたちの悪いやり取りに少し腹が立って。
順番を先後して、強く唇を奪ってから、俺は心底から言ってやる。

「――愛してる、あゆ」

普段なら入れてただろう、ぞ、を入れなかったのは、せめてものプライド。
全力で照れるのを期待して。

「愛してるよ、祐一君」
目の前の妻は全く照れずに言い返し、俺を赤面に沈める。

「――祐一君。ボク、家族ってどんな感じなんだろうって、ずっと迷ってた。 お母さんはいなくて。お父さんって、あまり実感がなくて」
「……ああ」
「でも祐一君と、一緒に車に乗って。本物の木を買ってきて。子供のためにツリーを飾ってたら、思えたんだ。ああ、家族だって」
「……」
「だから、祐一君にも、祐一君のご両親にも、本当に感謝してるんだよ」
「そうか」
「いい女になったでしょ、ボク」
「そうだな」
酒も入っていないのに、徹底的に俺は彼女を肯定する。
それでも母になった恋人は、照れない。
「……生意気だぞ、あゆのくせに」
「ボクの勝ち、だね」
子供っぽく胸をそらした姿に、昔と立場が逆転したのが悔しくて、憎らしくて。
「後で覚えてろよ」
「わっ」
服越しに、一年ほど我が子に譲っていた膨らみに手を伸ばす。
身をよじったあゆの肘が深緑色のシャンパンボトルを揺らし、ふたりで慌てて押さえる。
そこで目線が合い、ふっと笑い合う。
ここで落っことし割らなくなったあたり、俺たちは、ちゃんと大人になれたのかもしれない。
「……今晩起きたら、俺があげとくなミルク」
「じゃ、今日はひさしぶりに、飲もうかな」
ベビーチェアの上に乗せた、小さなサンタ帽を軽く整えて、俺はグラスを持つ。
見慣れたカーテンと家具。
そこに、北欧生まれの家具量販店が用意した本物のもみの木が、着飾られて大きな顔をしている。
申し訳程度に敷いたワイン色のランチョンマット。
その上に、久しぶりに登場した、とぼけた顔の天使の人形。
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そのぜんぶに目線と、お礼を飛ばして。


「メリークリスマス、祐一君」
「メリークリスマス、あゆ」


澄んだ音が消えないうちに、口の中で騒ぐ酸味の効いた泡を飲み干して。
最愛の家族とのお祝いが。
我が子が寝ている今だけ。
静かに、幕を開ける。

あゆがまだ好きだからぼく勉で例えてみた(前編)

<趣旨>
私の好きな「月宮あゆ」は、ゲーム「Kanon」のキャラクターです。
現代で彼女のことを説明するのに、さまざまな思いから「ぼくたちは勉強ができない」の古橋文乃にシナリオをなぞってもらうという方法を思いつきました。
初出まで遡ると約20年前の作品なので、ネタバレも何もないかと思いますが、まあ、以下そういう私的なお話です。
文乃「……たい焼きを買ったら全力ダッシュって、とっても不安なんだけど」
うるか「あたし、成幸のいとこ役!?」
(というわけで、劇として演じてもらいつつ、( )内で解説。原作そのままのセリフ引用は『』で標記します)


<出会い>
――雪が、降っていた。
記憶の中を真っ白な結晶が埋め尽くしていた 。

(主人公・相沢祐一は、高校2年生。親の海外転勤への同行を拒否したものの、一人暮らしの提案も却下された彼は、1月のはじめ、7年ぶりに、同い年のいとこと叔母が住む北の街にやってきました)

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(最高気温が氷点下になることが普通な世界。子供のころは冬休みのたびに遊びに来ていた場所だけど、7年前を境に縁が遠くなってしまい、なぜか記憶もおぼろげです。再会した従妹と、お使いがてら、街を案内してもらうところから、彼女とのストーリーを始めます)

うるか「買い物してくるから、ちょっとだけ待っててね。勝手にどっか行かないでね」
成幸「寒すぎる……」

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(見知らぬ商店街。当時はスマホが舞台道具になくて許された時代ですから、迷子にならぬよう、おとなしく待っているしかない主人公です。そこへ……)

??『そこの人っ!!』
成幸「え?」 
??『どいてっ! どいてっ!』

(さあ、彼女の登場です)

成幸「古橋!?」 文乃「うぺぇっ!?」
べちっ!
文乃『ひどいよぉ……避けてって言ったのに…』
成幸「いや、普通にびっくりして!」

(鼻を押さえて非難の声をあげる、 ダッフルコートにミトンの手袋、黒ブーツを身にまとい、頭には赤いカチューシャ、背中には羽のついたリュックを装備した小柄な少女。今回文乃に演じてもらう、月宮あゆの姿です)

文乃「って話はあとっ」 成幸「何だよ!?」 文乃「走って!」

(見ず知らずの彼女に、突然手を掴まれ、道もわからぬ商店街を引っ張りまわされる主人公)

成幸「なに? なに?」 文乃「わたし追われてるんだよっ。いっしょに隠れて!」

(間一髪。ファーストフード店で客を装い隠れたところで、彼女を追ってきたエプロンをしたおじさんの姿が見えます)

成幸「なんで緒方の親父さんがここにっ! しかもめちゃ怒ってる!?」
文乃「たぶん、たい焼き屋さんの役だからだと思うよっ」
成幸「……なんでたい焼き屋さんが、ってなんだよその茶色い袋」
文乃「たい焼きだよ」
成幸「……えっと、その袋を手に入れるまでの事情を話してもらおうか」
文乃「えっと、たい焼きをたくさん買って、お金を払おうと思ったら」
成幸「思ったら?」
文乃「財布に、お金が入ってなかったので」
成幸「で」
文乃「思わず、走って逃げちゃったんだよ……」
成幸「……えっと、警察にいこうか古橋」
文乃「待って成幸くん! これには複雑な事情があるんだよ!」
成幸「聞こうじゃないか」
文乃「長くなるよ。とっても複雑な話になるよ」
成幸「時間はたっぷりあるから、いくらでも聞く」
文乃「あのね……すごくお腹がすいてたんだよ……」
成幸「……」
文乃「……」
成幸「完全にお前が悪いんじゃないかっ!」
文乃「うぺぇっ!! じゃなかったうぐぅっ!! ごめんなさいっ!!」

(……縮めてますがほぼ脚色抜き、彼女は出会って数分でこの流れで「食い逃げ」を自白する前代未聞のヒロインです。そしてお夜食の件などもあり、この掛け合いができてしまうのが成幸と文乃っち……)

うるか「……成幸、どこいったんだろ」

(というわけで後日ちゃんとお金払うという言質をとり、散々苦労してうるかのもとに戻って叱られます。その翌日、今度は街を思い出すためひとりで散策していると……)

文乃「え? また成幸くんなの?」

(また走ってくるんですね、紙袋抱えた彼女が)

成幸「いいか、冷静に、箸を持つ方に避けるんだ」 文乃「うんっ!」 成幸「っておいっ!?」
ドカ!
成幸「なんで、こっちに」
文乃「うぐぅ、左利き……」

(冗談みたいですが、本当に彼女も左利きです。そして懲りずに再逃走の幕が上がります)

成幸「またかっ? またなのかっ? 財布の中見ろよっ」
文乃「だってこれ劇だからっ」

(逃走の末、到着したのは見知らぬ小道。主人公は帰り道を尋ねますが、彼女は首をひねるだけ)

成幸「(帰るもなにも、もうあの界隈にもう近付けないんじゃないか?)」
文乃「何か言った? もしかしてキミも、帰り道知らない?」
成幸「わかるわけないだろ、俺、引っ越しで7年ぶりにこの街に戻ってきたばかりなんだから」
文乃「7年ぶり……昨日からもしかして、と思ってたけど、キミ、唯我、成幸くん……?」
成幸「もしかして、古橋……か」

(目の前の少女の面影に、霞んでいた記憶が、そこだけ晴れていきます)

文乃「成幸くんっ!」

がばっ、さっ、どか!

文乃「か、感動の再会を避けるってどういうことだよ成幸くんっ!? 街路樹にキスしちゃったよっ!?」
成幸「いや、飛び掛かられたら避けろってカンペが!」
文乃「ちょっとカンペ役!ってりっちゃん!?」
理珠「(原作通りです)」

(ごめんね、 かわして衝突させなければいけない理由があるのです)

どさどさどさ……
美春「きゃ!」 真冬「驚愕! 美春、なぜこんなところに!?」

(この時、文乃、もといあゆがぶつかった木から大量の雪が落ち、別のヒロインに降りかかるのです。彼女については、機会があれば……)

成幸「結局、成り行きで盗品のたい焼きを口にしてしまった……」
文乃「昨日もあげたからね、一匹も二匹も一緒だよ」

(そんなやり取りもありましたが、幼なじみと出会い記憶の靄が晴れた嬉しさは勝り……)

文乃「また会おうね成幸くん」
成幸「そうだな」
文乃「約束だからね。そうだ! 昔みたいに指切りしようよっ」
成幸「そこまでしなくても……」

(どこか懐かしさを覚える、指切り。そして彼女と別れます)
(そして話の合間に、主人公は夢を見ます。回想編です)

<7 years ago>
(回想は、雪の中、今より幼い顔のいとこと商店街に行き、同じように待たされているところから始まります。今から7年前……小学生ぐらいのことだと、プレイヤーは察します。そして)

どん!
??「うぐ」
成幸「……えと」
??「えぐ、ひっく……」

(赤いカチューシャと白いリボンの差こそあれど、あの少女と同じ髪色と顔立ちの幼い少女が、彼の背にぶつかって泣き出します)

成幸「(これ、周りには完全に俺が泣かしてるって思われるんじゃないか)」
??「うぐぅ…」
成幸「と、ともかく場所を変えよう。な?」

(何とか彼女の名前を聞き出し、彼女に落ち着くよう話す主人公。少ないおこずかいで、彼女からのリクエストを買ってきます)

成幸「ほらいっしょに食べようぜ、たい焼き」
文乃「……(はむ)」
成幸「うまいか?」
文乃『しょっぱい』
成幸『それは、涙の味だ』
文乃『…でも…おいしい』

(その優しさがうれしかったと後に教えてくれる彼女は、少ない口数ながら、また一緒にたい焼きを食べたいと告げます)

文乃「約束、だから」
成幸「えっと、指切りははずかしいんだけど」
文乃「指切り……」
成幸「わかったよっ」

(その翌日も、約束通り彼女と会います。たい焼きを食べ終わり、一緒に商店街を散歩する主人公に、彼女はぽつり、昨日泣いていた理由を告げます)

文乃『…あのね…お母さんが、いなくなっちゃったんだ』
成幸「……」
文乃「わたしひとり置いて、いなくなっちゃったんだ」
成幸「……」
文乃『…それだけ……』

(彼女は母親を亡くして悲しみに暮れているところ――文乃では明確に描写されることはありませんでしたが――を、主人公に出会ったのです)

(なお、零侍さんの存在もあり気になるところですが、Kanonの作中では、父親の描写は全く出てきません。父性の欠如は、他のヒロインでも、いえ初期のKey作品に共通する部分でもあります)

閑話休題。彼女を元気づけたいと思い、彼は、また会おうと待ち合わせの「約束」を取り付けます)

成幸「もしよければ、だけどな」
文乃「成幸くんといっしょにいると、楽しかった時のこと、思い出せるから……」

(では、現在に戻りましょう)

<現在の日常>
うるか「そもそも、なんで文乃っちの役は食い逃げに命を懸けてるの?」
文乃「うるかちゃんっ。わたし、探し物をしてるんだよっ」

(後日、街をうろうろしている理由を主人公に尋ねられ、彼女は探し物をしていると答えます)

成幸「学校から帰って着替えて捜索って、忙しいな」
文乃「わたしの学校は私服通学なんだよ」
成幸「なるほど、で、探し物ってどんなのなんだ、古橋?」
文乃「そ、それが、どんなのかもいつなくしたのかもわからなくて」
成幸「ハァ?」
文乃「それでも見たら絶対に思い出すもん!ってことになってるの」
成幸「う、う~ん」

(それでも、7年前の記憶があいまいな主人公は、自分も似たようなものだとと思って、手伝うと申し出ます)

文乃「あ、クレープ屋さんのメニューが増えてる!」
成幸「真面目に探せ!」
文乃「あれ、ここはケーキ屋じゃなかったのに」
成幸「勘違いなんじゃないか?(こりゃ難航しそうだなぁ…)」

(こんな調子で、捜索に付き合うのが日常です)

文乃『こういうのって相合い傘って言うのかな』
成幸「い、いまのご時世には、そんなこと言ったりしないんじゃないか」

(雪が舞う日の捜索は、こんな風に、傘を差し掛けてあげたりね)

<過去の日常>
(では、過去の二人はどうだったのか。当時の方がもっといい関係でした。あの後は毎日駅のベンチで待ち合わせて、遊びに出かけていました)

成幸「もうすぐだからな。いい場所」
文乃『人けのない場所……?』
成幸「その言い回しは、ちょっと語弊が」

(ある日、彼はお気に入りの場所を彼女に教えます。それは、その街の小高い丘の中、一本の巨木がそびえたつ森の広場でした)

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成幸「どうだ、俺の秘密の場所。この木だけは、街中から見えるんだぞ」

(彼女も気に入り、主人公に微笑みます。その笑顔に心惹かれたところで)

文乃「ちょっとだけ、後ろを向いてもらえるかな。スカートだから」
成幸「……何するんだ?」
文乃「いいよー、上向いても」
成幸「……お、おい! 危ないぞ!」

(見た目に反して運動神経の悪くない彼女は、主人公が怖がるほど高い巨木の枝に上って、さらに見通しが良くなった街を眺めます)

文乃「平気だよ! 気持ちいい風……」

(やっと笑顔を見せてくれるようになった彼女。でも主人公は、冬休みで遊びに来ているだけの小学生。いずれは帰らなくてはいけません。少しでも笑顔が見たくて、主人公はあくる日……)

文乃「あ、こないだクレーンゲームで取れなかった人形!」
成幸「こんなの、俺がやれば楽勝だぞ(うるかにだいぶ借りたけど、どう返そうかな……)」
文乃「ありがとう!」
成幸「ちなみにこれはな、ただの人形じゃないんだ。願いが叶う人形なんだぞ」
文乃「……とってもうさんくさいよ」
成幸「そんなことない、絶対に叶うんだぞ! でも叶う願いは最大3つまでで、数を増やすお願いは禁止。 あとお金のかかる願いはダメ。叶えるのは貧乏な俺だから」
文乃「……ふふ。うれしい。じゃあね。早速ひとつめ」

(いかにも子供らしい発想のプレゼントを受け取り、彼女は1つ目のお願いを伝えます)

文乃「わたしのこと忘れないで下さい」
成幸「……」
文乃『冬休みが終わって、自分の街に帰ってしまっても、時々でいいですから、わたしのことを思い出してください』
成幸「約束する。俺は文乃のことを忘れないし、絶対にこの街に帰ってくる。その時はまた、一緒にたい焼き食べような」

(一度はこんなことを言われてみたい人生だった、ですね。少し先までジャンプしますが、2つ目の願いはこちらです)

文乃「ふたつめのお願い。この場所を、ふたりだけの学校にして…」
成幸「学校、に」
文乃「成幸くんと一緒に学校に行って、成幸くんと一緒にお勉強して、成幸くんと一緒に給食を食べて、成幸くんと一緒に掃除をして……そして、成幸くんと一緒に帰りたい」
成幸「……」
文乃「どう、かな?」
成幸「……いいぞ。今日からこの秘密の場所は、俺たちの『学校』だ! 宿題もテストもなし!」
文乃「給食にはね、いつもたい焼きが出るんだ!」
成幸「おいおいっ」

(幼いながらも、立派な恋を進めるふたり、一方7年後の世界では……)

文乃「な、なんでふたりで見に行くのがホラー映画なの? 台風の日の繰り返しだよっ!」
成幸「誘ったの、古橋の方だよな? 俺だって嫌だよ!」

(偶然チケットを二枚入手し、待ち合わせて見に行った映画がホラー映画だったり……)

文乃「成幸くん大変だよっ! トーストがなぜか黒焦げだよっ!」
成幸「……古橋、なぜトーストをフライパンで焼く? 特技は料理って言ってなかったか?」
文乃「あのその、これ劇でござるから!」

(……会話だけはアレンジしてますが、宣言してたこと、実際の行動、まったく誇張なしの原作通りだったり……)

成幸「そもそもなんで古橋が、この家で朝食を作ってるんだ?」
うるか「あたしが誘ってお泊まりさせたからだよ。まあ……炊飯器なのにご飯を黒焦げにしたのは予想外だったけど」
成幸「インスタントみたいなのとか、置いてなかいのか?」
うるか「あたしの役の子は陸上部部長だし、アスリートってことで、そういうの置かないみたい」
成幸「まあ、古橋の役は、7年前もテレビ番組の『CM』を見てクッキーを作ろうとしたキャラみたいだし」
うるか「この碁石みたいな小道具がそう?」
成幸「それはリアル古橋の差し入れなんだが……」
うるか「……」
成幸「……」
文乃「えっと、意味深なアイコンタクトはやめやがれ、なんだよ」

(こんな感じで、完全なコメディですね。しかし√の後半では、いとこが彼女を遊びに誘ったことで、主人公と同じ家に彼女も数日泊まることになります。では、長くなりましたので後半に続きます……)

あゆがまだ好きだからぼく勉で例えてみた(後編)

趣旨やこれまでのお話は前編をご覧ください。では続きです。

<恋、そして……>
(お母さんは旅行中、ということで、彼女は何日かこの家に一緒に泊まって行きました。主人公の叔母と従妹と、まるで本当の家族のようにご飯を作り、それを囲んだりして、それはそれは毎日楽しく。しかし、彼女は或る夜、主人公に「帰る」と口にします……)
成幸「もう寝るのに、ずっとカチューシャしてるんだな」
文乃「これね。大切なものだから。成幸くんがくれたんだよ?」
成幸「そうだっけ……ところで帰ったら、誰か戻ってくるのか」
文乃「ううん、わたしひとり。わたしのお母さんは2度と帰ってこないから」
成幸「叔母さんは、たぶん、嘘に気づいてるぞ」
文乃「うん、みんな、優しいんだよ……あれ?」
成幸「古橋?」
文乃「おかしいな、わたし、どうして泣いて……」

(彼女にとって家族の団らんは、羨望であると同時に、悲しい記憶との邂逅でした。そして彼女は家を離れるとき、送る主人公にこう問いかけます)

文乃「成幸くんは…目の前で大切な人を失ったこと……ある?」
成幸「……」
文乃「あるんだね」

(成幸くんにこのやり取りをさせると、ダブルミーニングになりますが……取り戻しつつある思い出とともに、ふたりの間は恋愛として、急接近します。以降、こんなやり取りをするぐらいですから)

文乃「もし、わたしの初恋の相手が、成幸くんだったとしたら……そうしたら、成幸くんはどうする?」
成幸『すぐに取り消してもらう』
文乃「どうして?」
成幸『初恋は、実らないっていうからな…』
文乃「成幸くん……もしかしてすっごく恥ずかしいこと言ってる?」

理珠「(ギロ)」 うるか「(じわ)」 あすみ「(ジト)」 真冬「(ゴゴゴ)」 水希「(殺)」
(……あの、ヒロインズの皆さん、劇に割り込まないでいただけます?)

文乃「探し物、もしかしたら見つからない方がいいのかも」

(主人公と仲が深まった彼女は、ずっと探していたものの捜索について「きっと幸せだと必要ない物なんだよ」と呟きます)

(少しだけ話の順序を入れ替え、夢の回想編を挟んで、その正体をお伝えします)


<タイムカプセル>
成幸「もうすっかり暗いな」
文乃「そうだね」
成幸「……そういえば、明日で、お別れだな」
文乃「……そうだね、成幸くん、『転校』だね」

(7年前の冬休みの終わり、主人公が地元に帰る前日。二人は『学校』で遊び、すっかり暗くなっていました。その帰り道、ふたりは口の大きな、少し変わった形の瓶を拾います)

文乃「成幸くんは、タイムカプセルって知ってるかな?」
成幸「瓶はいいとして、何を入れるんだ?」
文乃「これ。この天使さん」

(文乃が提案したのは、彼女が大事に持っていた「お願いの叶う天使の人形」でした)

成幸「まだお願いが残ってるだろ?」
文乃「わたしは、ふたつ叶えてもらったから十分だよ。残りのひとつは、未来の自分…もしかしたら他の誰かのために…送ってあげたいんだよ」
成幸「叶えるのは俺なんだけど……その人見つかるかな」

(ためらう主人公に、彼女はこう言って微笑みかけます)

文乃『大丈夫。きっと、見つかるよ。この人形を必要とするひとがいれば、かならず……』

(ふたりは協力して、その即席カプセルを地中に隠します)

成幸「……明日も俺、帰る前にちょっとだけ会いたい」
文乃「じゃ、明日も待ち合わせは『学校』でね!」



<ひび割れる重奏曲>
成幸「そういえば、どんな学校なんだ古橋の私服通学の学校って」

(明くる日、主人公は、彼女の通う学校を案内してくれと提案します。お互いの放課後、昔のように駅のベンチで待ち合わせた二人は、彼女の学校に向かいます)

成幸「ぜい……ぜい、こんな、山の中なの古橋の学校って?」
文乃「……そうだよ」

(不安げな主人公、そして、彼女。その道はいとこから「この先にはなにもないはずだよ」と言われた、森の中でした)

成幸「……ここ?」

(行き着いた先は、プレイヤーは何度も回想で見ている場所。森の広場でした。しかし大きな違いがあります)

文乃「そんな……嘘」
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(そこに大樹はなく、あるのは切り株だけ。そして)

文乃「わたし、きょうもここに来たはずのに。そうだよ鞄!……ない、おかしいよなんで空っぽなの? 嘘だよ、わたし、ここにいちゃいけないの?」

(泣きながら混乱した叫びをあげて、彼女は駆け出します)


成幸「おい古橋っ!!」


(慌てて追いかけた主人公が、再び彼女の姿を認めたのは、陽も完全に落ちた世界。降りしきる雪の中、彼女は街路樹の根元の凍土を、素手で掘り起こしていました)

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成幸「やめろよ! 明日道具持ってきて、ちゃんと探せよ!!」

(舞台は、雪のない背景が1カットもない極寒の街。凍った地面をやわらかい女の子の手で掘れば、血が滲みます。なのに彼女はその手を止めようとしません。そして、主人公を見上げた彼女の口から、まったく彼女らしくないシリアスな台詞が飛び出します)

文乃『…ダメ、だよ…。だって、夜は明けないかもしれないよ』
成幸「……ふるはし?」

(その言葉を残し、彼女は忽然と姿を消します)

(翌日、彼女を探して彼は愕然とします。いつも偶然彼女が現れてくれるから、何かあればいつも約束して会っていたから、連絡先も、住まいも、何も彼女のことを知らなかったことに)

(言いしれようのない不安に駆られた主人公は、知り合いを集め、彼女が掘っていた付近を徹底的に掘り返します)

大森「なんかあったぞ、これじゃないか唯我!」

(捜索により、タイムカプセルに埋めたあの天使の人形は、ついに現実の世界に戻りました。同時に、7年の歳月が経ったことを、否応なく突きつけます)

うるか「でも羽は取れてるわ汚れるわ、これボロボロだね。あたし、直してあげるよ」

(その夜、主人公は最後の記憶に到達します。そして……それを忘れていた理由にも)



<7年前の『真実』>
成幸「(喜んでもらえるかな、プレゼント)」

(それは、地元の街に帰る日の出来事でした。数少ないお小遣いで買ったプレゼントを手に、主人公は『学校』へ向かいます)

文乃「成幸くん!」

(いつもの枝の上で、主人公を見下ろす彼女。その姿を認めて、お互い手を振り返します)

(その瞬間、木の枝を揺らすほどの強い風が吹きました)

文乃「あ!」



(その瞬間、ストップモーションのように、彼女は、木から、落ち。
――響いた鈍い音とともに、世界が、その色を変えます)



文乃「……あはは……おちちゃった、わたし。木登り、とくいだったのに」
成幸「喋るな! すぐ病院に連れてくから!」
文乃「さっきまではすごく痛かったけど……でもいまはね、いたくないよ……」
成幸「痛くないんだったら、絶対に大丈夫だ!」
文乃「…あれ…… 体が… 動かないよ…」
成幸「俺が、連れていってやるから! だから、動かなくたっていいから!」
文乃「…でも…動けないと…遊べないね…」
成幸「……っ」
文乃「… 成幸くん……また…わたしと遊んでくれる…?」

(なぜ、痛くないのか。 明かされないまま、BGM『夢の跡』を背に、白い雪が、彼女の頭から流れる血で溶け落ちていきます)

成幸「もちろん! ほら、いつもの指切りだ!」
文乃『約束……だよ』
成幸「ああ、これで」
文乃「……」
成幸「ほら、お前もちゃんとしないと……」
文乃「……」
成幸「指切りに、ならない……だろ」

(7年前の失われていた思い出。それは、初恋の女の子が目の前で喪われていく、子供には受け止めきれない、あまりに辛すぎる記憶でした)

(彼の手から、プレゼントが零れ落ちます。その中身は、カチューシャ。雪と共に紅く染まった白いリボン代わりに、7年後の彼女がいつも身に着けていた、赤いカチューシャ……)













成幸「……」

(目を覚ます主人公。いま、すべてが明らかになり、浮かぶのはこれまでの日々。渡せなかったはずのプレゼントをつけて、一緒に過ごした彼女は、ただの幻だった? それとも……)

うるか「……起きた、成幸? これ、直した。ほとんどゼロから作り直しになったけどさ」
成幸「ありがとう……ちょっと俺、出かけてくる」

(迷いを断ち切るように、彼はいとこが直してくれた天使の人形を手に、土曜の昼下がりから、外へ出ます)

文乃『やっぱり待ってた人が来てくれることが一番嬉しいよ。それだけで、今まで待ってて本当によかったって思えるもん』
成幸「……そうだな」

(いつか駅のベンチで待ち合わせた時、彼女が口にしていた言葉を思い出しながら、彼はふたりの『学校』――いまは、切り株だけになった森の広場で、ひたすら待ち続けます)



 真っ赤な空を見上げて、ただじっと待つ。
 たったふたりの生徒。
 その、もうひとりの姿を、俺は待っていた。
 夕焼けの赤が通り過ぎて、やがて夜が来る。
 風に揺れる木々のざわめきを遠くに聞きながら、
 時間の流れる音を近くに感じながら…。
 すでに、この世には存在しない人を、待ち続ける。
 これ以上、滑稽なことはなかった。



(以上、原作より――7年間待った彼女の気持ちを追体験しようというかのように、ひたすら待ち続けます)

(「待ち合わせは、学校」。7年越しの約束を、もう一度果たすために )



<最後の『お願い』>
(そこで、突然場面は、家に戻ります)

文乃「成幸くん!」
成幸「わ、な、なんで古橋が家に!?」
文乃「なんでって、成幸くん、わたしもこの家の一員じゃない!」
成幸「あ……そうだったな」
文乃「今日はね、これから、クッキーを作るんだよっ!」
成幸「あ、ああ……」
文乃「何その顔。きょうはうるかちゃんにちゃんと作り方習うから大丈夫だよ。できたら食べてね!」
成幸「うん、まあ、それなら……安心かな」
文乃「言質、とったからね!」

(会話は文乃と成幸にアレンジしてますが……この流れで、突然こんなやり取りがはじまる意味を、想像してください。そして声は遠ざかり……)





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成幸「……だいぶ、時間経っちゃったな」





(冬の中で最も寒さの際立つ、1月の末の、日曜日。肌を切る寒さを際立たせるような、橙色の黄昏時。 主人公は、しばし辛すぎる現実から幸せな幻想の世界に逃れていました。現実へ還った彼は、天使の人形を抱え、ひとり呟きます)

成幸『…俺は、今でもお前のこと好きだぞ』
文乃「――わたしもだよ、成幸くん」

(背後からした声。それは、ずっと待ち望んでいた――決して還ってくるはずのない、大好きな彼女の声でした)

成幸「……遅いぞ」
文乃「今日は学校お休みだよ、日曜日だもん」
成幸「そう、だったな……そうだ、ほらこれ」
文乃「探し物……見つけてくれたんだね」
成幸「ああ、だからお別れの前に、せめて俺に、最後の願いを叶えさせてくれ」

(主人公は、彼女の探し物……お願いが一つだけ残った、あの天使の人形を渡します。一瞬彼女は考え込み、そして飛び切りの笑顔を浮かべて、向き直ります)

文乃『それでは、ボクの最後のお願いですっ』
成幸「(……古橋? どうして今になって一人称を……?)」

(もしかしたら皆さんも、そうとは知らず、どこかで見聞きしたことがあるかもしれませんね。それでは『最後のお願い』です)











 ……ボクのこと、忘れてください…
 ボクなんて、最初からいなかったんだって…
 そう… 思ってください…










成幸「本当に……それでいいのか」
文乃「……」
成幸「古橋のお願いは、本当に俺に忘れてもらうことなのか?」
文乃「うぐっ、わたしのことわすれ、だめっ、なりゆきくん、わたしこれいじょうはできないっ」
成幸「……!」
文乃「わたし、同じ場面なら、きっとおんなじことを言うと思う……だから劇でも、成幸くんに言うのは嫌なのっ、辛いのっ」
成幸「……」
文乃「ごめん、なさいっ……あの頃成幸くんに出会ってたら、お母さんの星に手を伸ばしたくて、木に登っていたら……わたしが、わたしがあゆちゃんになっていたかもしれないって、そう、思ったら……っ」

(……すごく失礼とは思いつつも、文乃のことを知った時、あゆとの共通点の多さに、驚きました。母親を亡くしたけど、今は元気いっぱい。食いしん坊だけど料理は下手、左利きで、変な口癖があって……)

(そして何より、文乃の口癖「言質、取ったからね」は、あゆの台詞「約束、だよ」と、置き換えてしまえるぐらい、意味が一致します)

(もちろん、いくら似ているところがあろうとも、月宮あゆ月宮あゆ、古橋文乃は古橋文乃、です。賢さも、容姿も、当然ストーリーもまるで違う。上記であげた共通点も、令和まであゆが好きな私だから見えた幻覚でしょう)

(でも、それでも……1つ目の願いで「わたしを忘れないで」と願ったうえで、この「最後のお願い」を、心から口にしそうなヒロインに、『出会った』と思ってしまったんです。「最後まで笑ってる強さ」を、知っているヒロイン。うるかルートで自分の気持ちを閉じ込め笑顔で送り出した、あの笑顔を見て )

あゆ「――文乃さん、代わるね」
祐一「唯我だっけか。彼女のこと、見ててやれよ」


(――では、続きは本当のキャストとやりとりでどうぞ)


あゆ「だって…ボク… もうお願いなんてないもんっ」
あゆ「…本当は、もう二度と食べられないはずだった、たい焼き…いっぱい食べられたもん…」
あゆ「だから…」
あゆ「だか…ら…」
……。
あゆ「ボク、ホントは」
あゆ「もう1回…祐一君と、たい焼き食べたいよ…」
あゆ「もっと、祐一君と一緒にいたいよ…」
あゆ「こんなお願い…いじわる、かな?」
あゆ「ボク、いじわる、かな…」
……。
あゆ「…祐一君…」
あゆ「ボクの体、まだあったかいかな…」
祐一「当たり前だ」
あゆ「…よかった」

(お前は生きているんだから、温かくて当たり前だ。そんな願いをこめた次の瞬間、そこには初めから何もなかったかのように、彼女の姿は消えてしまいます。それでも主人公の祐一は、これだけは間違いなく言えると、断言します)

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――最後に見たあゆは、笑顔だった、と。



<エピローグ>
(季節は巡り、エピローグの幕が上がります)

秋子「祐一さん、今朝のニュースで言っていたんですけど、知ってますか?」
祐一「なんですか?」
秋子「昔、この街に立っていた大きな木のこと。昔…その木に登って遊んでいた子供が落ちて…同じような事故が起きるといけないからって、切られたんですけど…」

(さも世間話のように会話をはじめる、彼の叔母・水瀬秋子さん)

秋子「その時に、木の上から落ちた女の子…7年間戻らなかった意識が、今朝戻ったって…」

(つい先日『35歳の少女』ってTVドラマがありましたね。そうです、彼女は、ギリギリでこの世からは失われていなかったのです)

秋子「その名前が、確か……」

(そう、私が好きなKanonは、おとぎ話なのです。この√では、7年間昏睡していたあゆが本当に望んだお願い……そう「ずっと一緒にいたい」を天使の人形が叶えた、そんな幸せなおとぎ話)


<結びにかえて>
あゆ「このあと本当は、ボクが祐一君と待ち合わせるシーンがあるんだけど、文乃さんには似合わないからカットするね」
祐一「なんだよ、あれをからかうのが面白いのに」
あゆ「床屋で髪をバッサリ切られたって面白くないよっ!」
祐一「まあ、さすがにアレをやってもらうわけにいかないからなぁ」

(小学生で時が止まった彼女が『美容院』を知らなかったがために、散髪に失敗した、つまり、眠っていた7年分の知識をこれから得ていく困難をチラ見せしつつ、でもきっと幸せになれるよと歩き出すのが、彼女・あゆのお話のラストです)

成幸「……大丈夫か、古橋」
文乃「うん……ごめん、まだ少しぼおっとしてる」

(なお、京都アニメーション様のアニメ版では、全ヒロインのラストをつなげたうえで、もっともっと印象的なラストになってます。機会を作って、ぜひご覧くださいね!)

「文乃さんお疲れさま。ボクのたい焼き、食べる?」
「……ありがとう……ん、ちょっとしょっぱい」
「それはね、涙の味だよ……なぁんてね」
「でも、おいしい」
「……ふふふ」
「……えへへ、ありがとう、あゆちゃん」

本来、絶対に出会うことはないふたりです。
けれど、もし会えたならなんかとっても仲良くなってくれそうで。
ぼくたちは勉強ができない』も、誰かの「思い出に還る物語」になってくれるように祈りつつ。

以上、長いツイートに、お付き合いありがとうございました。

親指姫は眠り姫の森の端で[X]を求める(ぼくたちは勉強ができないSS)

雪はこころにふるんだって、素敵な言い回しですよね。
文庫本から顔を上げて発せられたそのセリフに、白いカーディガンを羽織った彼女が、一段ときれいになった気がした。
うん。お待たせりっちゃん、と、わたしは脱いだコートをたたみながら、向かい側に腰を下ろす。
12月のはじめ、表通りに面したカフェで、久しぶりにわたしたちは向かい合う。



~親指姫は眠り姫の森の端で[X]を求める~



「成幸くんへ、 クリスマスプレゼント何をあげたらいいかって?」
注文した飲み物がテーブルに置かれて早々、切り出された彼女の言葉をわたしは繰り返す。
彼女が、相談したいことがあるんですと連絡をくれたのは昨日のこと。
だったらさっそく会おうよと、背伸びして都心の表通りのカフェを指定したのはわたしだった。
でも、スマホではなく文庫本を片手に、先に座って待っていたのは、二重の意味で予想外。
難しいのはまだ無理なので、と中身を見せてくれたけれど、その行動自体、驚きの対象だった。
その驚きも冷めやらぬままに、出てきた相談内容に再度、私は面食らう。
しぱしぱ瞬きを繰り返すわたしに、ええ、とにこやかに頷いて、彼女はココアの入ったマグを取り上げた。
「最初のクリスマスなので、思い出になるものを贈りたくて」
「成幸くんが好きなわたしに、それ、聞いちゃうんだ」
「だからこそ、です。ぜひ相談にのってほしくて」
中身をひとくち飲み込み、喉を動かしたりっちゃんは全く悪びれず、ふんすと鼻を鳴らした。
その仕草が、動物さんみたいでとてもかわいらしい。
「残酷なことするなぁとか、考えないんだ」
「ええ。文乃はちゃんと相談に乗ってくれるって信じてます。もっとも、いまから『ゲーム』に挑戦するなら止めませんが」
「言うようになったねりっちゃん?」
「それは相手が文乃だからです」
「むか。やっぱり悔しいから、りっちゃんのこと刺しちゃおうっかな」
「文乃にそうされるなら諦めます。でも、幽霊になっても成幸さんは渡しませんけど」
「りっちゃんのいじわる」
「そうですね、イジワルです」
わたしはラテの泡をすすって、りっちゃんと顔を見合わせて笑い合う。
並べたのは物騒な言葉ばかりだけど、もちろん、本気じゃないよって伝えながらわたしは喋っている。りっちゃんも、それを分かったうえでの応戦だ。
りっちゃんだからこそ、このやりとりが楽しいし、成幸くんを好きなわたしだけど、彼女を心から応援したいなって思える。
彼女自身も。昔だったらこんなやり取り、絶対できなかっただろう。
1年前の同じころ、彼女は、自分の頭と恋心がケンカしたことに、ものすごく罪悪感を覚えて、泣いた。
それから、ずっと。
成幸くんを振り向かせようと頑張った時間が、叶った恋が、彼女をすごく強く、心豊かにしたんだと思う。わたしが何をしようと、何をされようと、動かされないぐらい。
ごめんなさいおふたりに遠慮はできませんでしたと報告してくれた時から、悔しいけど、本当にカッコいいなぁって思う。
「う~ん、そうだねぇ」
口調を元に戻したわたしは、天井の空気としばし相談する。大きなファンがくるくる回っている。いつも思うけど、なんであれ、真下が寒くならないんだろう。
「――お洋服とか、どうかな」
「それも考えたのですが、サイズとか、色が似合うのとか気になりますし。それは一緒に選びたいのです」
「アクセサリーは……するタイプじゃないしねぇ」
「飾るもの、も置き場所に困りそうですし。私自身、シンプルなお部屋が好きですし」
触れることができて、残るものを選びたいのかなとわたしは想像する。
手料理とかは当日するのかもしれないけれど、彼女の中では対象外と思ったほうがよさそうだ。
スポーツをするならそれに関連したもの、というところだが、彼はそういうタイプじゃないし。音楽も、ゲームもするとは聞かない。電子機器も扱いは苦手そうだし、趣味らしい趣味が、ない人ともいえる。
とはいえ、彼女からのプレゼントなのに現金なんて論外だ。
となると。
「本、はどうかな」
「本、ですか」
二人で同じところに読点とアクセントを置いて、私たちは提案を確かめ合う。
「……より、好みがわかりません」
恥ずかしそうにりっちゃんはまつ毛をふさぎ、かぶりを振る。
その様子はしゅんとした小動物みたいで、同い年の友達とは思えない。思わずぎゅっとしてかいぐりかいぐりしたくなる。紗和子ちゃんは、本当に慧眼の持ち主だ。
「ううん、文字の本じゃなくてね、目できれいな本かな。写真集とか、イラスト集とか、絵本とか」
もう少しその様子を見ていたかったけど、いじめるつもりはないので、わたしは言葉を付け足す。わたし自身が贈ったことはない。でも、メッセージカードの代わりになるそういうミニブックは、鹿島さんから受け取ったことがある。
「たくさんあるから、りっちゃんの好みを伝える意味でも、いいんじゃないかな」
「なんか、楽しそうに聞こえてきました」
「よかったら、このまま買いにいこうよ」
顔をほころばせた彼女に、わたしは自分で満足して、ラテを一度にふたくち、口の中で転がす。
とろみを帯びたそれは、はっきりと、甘い味がする。
幸せそうな彼女を見ながら飲むこの味は、お気に入りのひとつになりそうだ。



スイーツは大事な用事を済ませてから、で意見は一致。
読んでいた本のことだけを尋ねてカップを空にして、わたしたちは並んで店を出た。
通りを歩きだして数分もしないうちに、吹き付けるビル風にわたしは肩をすくめる。ブーツに合わせたけど、今日は実用重視のコートでもよかったかもしれない。
本当は立ち話じゃなんだけど、おやつの時間まで待ちきれず、わたしはさっき一番聞きたかったことを尋ねることにした。
「成幸くんとは、普段どんなデートをしてるの?」
隣のりっちゃんは、ふわふわの襟周りに顔を埋めて考え込む。
「そうですね……動物がいるところが多いですね」
ペットショップとか。動物園とか。そうそう最近は猫カフェがいち推しです! と、素手のこぶしを握って力説する。
何をするの、と聞いたら、おやつをあげたりするのです、猫アイスを出すとガジガジする子がいて私はその子が一推しですと、勢い込んで話したのだから相当ハマっているのだろう。確かに、小柄で丸顔の彼女は、耳とひげを足したら仲間になれそうだ。
興味が抑えきれず、話す側でスマホでお店を見てみると、思った以上にお洒落な場所だった。
「猫の目をじっと見てはいけないとか、猫のあいさつは鼻をつんとするので、人間だと指を伸ばすといいんですよとか、店員さんからたくさん学びました」
わたしは、いたずら好きのフミのことを思い出す。お父さんがあんなんじゃなければ、家にいてもいいかなって、思うけど。
「あ、動物と言えば、秋に行った大きな牧場も楽しかったです。どこまでも広々としてて、気持ち良かったです」
「へえ、どっちかが運転したの?」
「いいえ、バスで行きました。成幸さんも免許は取りたそうですけど、学校にも車にも、お金かかりますし」
「確かに」
「もこもこの羊に触ったりとか、牛乳しぼりとかしたんですが、みんな動物って熱いぐらいあったかいんですね。知りませんでした」
牧場も、確かにふたりに似合うかもしれない。りっちゃん、牛さんに近いとこあるものね。
「文乃、いま失礼なこと考えましたよね?」
今度はさすがにむっとした顔でのぞきこんできたので、わたしはあいまいに笑って場を流す。いけないいけない、わたしたちの間でこのことだけは禁句だよ。
「他は……ネットで評価が高いうどん屋さんを食べ歩くとか」
「敵情視察、だね」
やっぱりうちが一番ですね、と人差し指を唇に当てたところで、りっちゃんは、あ、と短い呟きを漏らして、首をすくめる。
「すみません、一方的に話すばっかりで」
「ううん、いいんだよ。わたしが聞いたんだし、逆にわたし話すことがないし」
わたしは仰ぐように手を振る。
実際、りっちゃんの話を聞くのは楽しかった。
もっと胸が疼くのかと思っていたけれど、全然そんなことはなくて、二人がこんな穏やかなデートを重ねていることが素直に嬉しかった。
(ちゃんとデートを組み立てられるようになっていて、お姉さんもうれしいよ、成幸くん)
親心、いやこの場合は姉心か。そういったら失礼だけれど、彼女だけでなく、彼の成長も感じられたことに安心したというか。
「そんなことありません。専門の勉強の話も聞きたいです。文字ばかり見ていると、得意分野が無性に恋しくなることもあります」
「数学ね。最近はわたしパソコンばっかり見てるから、ちょっと視力が心配」
そもそも地学は、文系科目のように覚えることも多い分野だ。計算自体は、結構機械任せだったりする。
勉強もさることながら、今のわたしは星を追う方法を模索中。地上から見るか、宇宙に飛ばすか。直接見るのか、電波で見るのか。夜空を眺めるのと、学問として追いかける差を、夢を壊さずに埋める作業をしているのかもしれない。
「文乃は、おしゃれな眼鏡をかけても似合うと思いますよ」
そう眼鏡の奥から目をほころばせた彼女は、本当にかわいらしくて。
わたしが彼氏だったらなぁ、と、変なことを考えずにはいられないのだった。



こっちこっち。
エレベーターから降りたりっちゃんの腕を、わたしは引っ張っていく。
外国絵本ではとんがりすぎかなと思い、わたしは輸入品を扱う専門店ではなく、和書を取り扱う大きな本屋さんを案内した。
一等地の目抜き通りに立つビルの、上の階。お店の名前を確かめて、ふたりで開きっぱなしのドアを通る。
「メッセージを伝えるための本だから、難しいことは書いていない本がいいかな」
りっちゃんの背丈ほどの棚が並ぶ絵本のコーナーに、対象とする子供の姿はまばらだ。贈る側の、大人の女性の方が多い。
「猫の出てくる絵本でしぼってみようか」
さっきのテンションを思い出しながら、やや誘導ぎみに、本の背表紙に手をかける。
「猫は、ふたりとも好きです」
「さすがにアニメ絵より、リアル目のタッチがいいかもね」
平置きのノラネコぐんだんの新刊をどかして、いくつか本を並べて見せる。大人も読める絵本だと数は限られてくるけど、それでもこの店では、絞り込み条件としてはまだまだ多すぎる。
「例えば『100万回生きたねこ』って有名だけど、ちょっと暗いし、ふたりのイメージにも合わないよね」
「クリスマスの絵本は、どうですか」
店内のクリスマスソングにつられたのか、りっちゃんが特設コーナーを指さす。
「確かにきれいな本が多いんだけど、それだとクリスマス以外だと、なかなか読み返さないよね」
わたしはやわらかく否定する。
プレゼントは、クリスマスツリーとは違う。勝手だけど、できればいつもふたりのすぐそばにあった方がいいと思う。
大きなトートを下げた女性が、すれ違いながら、わたしたちのやり取りを不思議そうに眺めていた。
うん、奇妙な組み合わせと思っているだろうな。
読み聞かせサークルなら本は図書館で選ぶだろうし、まさか彼氏へのプレゼント選びとその付き添いだとは、すぐに想像できないだろう。
そう思ったら、ちょっとしたドラマみたいで、楽しくなってきた。
「こうしてみると、絵本って、本当にたくさんあるんですね」
「そうだね。毎月のように出てくるんだもんね」
「名前だけ知っててても、読んでない本もあります」
「うん。そう考えるとすごいよね本って。大事にしてたら、いつか、ふたりの子供にだって読ませてあげられるよ」
「……ふ、ふみの」
りっちゃんが真っ赤になって、大慌てで手を振る。
あ、なんか余計な意味まで取ったな。
「気が早いかもしれないけどね。初めてのクリスマスプレゼントが、それだけ残るなんて思ったら素敵じゃない?」
言いながらわたしは、あの本のタイトルを思い出す。
天の光はすべて星。
あの作品は、短編SF作品の書き手が書いた数少ない長編だと、調べて知った。中身もとても硬派で、星が好きな女性が自ら手に取るには、不思議すぎるジャンルの本なのだ。
――もしかして、根っからの数学者も、SFは好きだったのかな。その推理は、まだ一度も話したことはないけれど。
そんな物思いの間に、りっちゃんが、おおきな目をした猫の絵本を取った。
「新聞でタイトル見たことあるよ、その本」
「ちょっと、読んでみますね」
本との出会いは、フィーリングだと思う。
最初のページで、その子はオスだと分かったけど、多分この本におちつくだろうな、とわたしは直感的に思った。
読み終わるまでの間、窓の外に目を向ける。
まだ明るい昼間の街を、店内の点滅するイルミネーションと、窓からのぞく赤と緑のカラーリングが、冬らしく染めている。
ビルの上から黒いケーブルに導かれ、金色の規則正しい星の並びが、瞬きを繰り返す。
――わたしだけの星、いつ見つかるかな、お母さん。
雲が多めの空にわたしは呟く。隣にいる、なりたいわたしの気配を、暖房が誘う眠気と共に心地よく感じながら。



「ありがとうございます」
ふたりでは、少し広い、紗和子とのルームシェアの部屋には、フローリングに不釣り合いな、床置きタイプのこたつがある。
世の中にはテーブル型もあるのに、3人ともなんか床に座ると落ち着いてしまうので、このタイプで準備されたのだった。
そのこたつの、たった1面だけを、今は二人で貸し切っている。
邪魔しないから明日は好きにやって、と実家に戻った紗和子に心でお礼を言って、私は遠慮なく、成幸さんに甘えている。
いまは、プレゼントの箱を開けて、中身をかざしていたところ。
成幸さんのプレゼントは、雪の結晶のように輝くイヤリングだった。
その光に、しばし私は茫然と魅せられる。
「私は、これです」
赤い紙にマスコットのサンタが躍る、レトロな包装紙にくるんだプレゼントを、私は改めて差し出す。
包みは、爪でセロテープまで丁寧に解かれ、中から出てきた、なまえのないねこ。という猫が成幸さんを見つめる。
黒っぽい縞と茶色。調べたらこれは、きじとら模様というらしい。
「絵本、なんだ」
「はいっ」
「いま、読んでもいい?」
私は、頷き、成幸さんの身体にくっつく。
この子は、名前のない野良猫だ。
街の中を、お店の中を、他の猫を紹介しながら、ひとりで歩き回る。
「みんなかわいいね」
「はいっ」
私はその間、飼い主に甘える猫のように、ぴたり身を寄せて、彼が筋を追うのをしばらく楽しむ。
「……そこです。それが、伝えたくて」
最後の少し前、この子の名前が出てくる直前のところで、私は声を挟む。
「この話の趣旨とは少し違いますが、それが、伝えたくて。この本にしました」
あなたに出会う前までは、自分の名前のことなんか、考えなかった。
父の鬱陶しさを感じる呼び方を除けば、好きとも、嫌いとも感じなかった。私が主人公だったなら、きっと他の猫のそばを興味なく通るだけの、無言のページが続いただろう。
でも、去年、この日を迎えるころ。自分が抱く気持ちが分かったとき、私が欲したのはこの猫と同じ。
愛を込めて、名前を呼んでくれるひとだったのだ。
「私を呼んでください。成幸さん」
成幸さんが、りず、と私の名前を呼ぶ。
もっとあなたの声を聴きたいのに、たった二文字の名前だから、その響きはあっという間に消えてしまう。
すき、と同じ、い、と、うの音が付くのは好きだ。でも、あいしてる、と同じように、本当は、あなたの口が大きく動くところが見たい。
それは叶わないから、せめて、たくさん呼んでほしい。
私があなたを呼ぶ間に、あなたは私を二度も呼べるのだから。たくさん、たくさん呼んでほしい。
その無言のお願いを聞き届けて。
絵本に倣って、おいで理珠、と成幸さんが私を呼ぶ。
はい、と私は彼のお腹に頭を預ける。
私の手料理が収まった、少し膨らんだお腹が、あたたかくて心地いい。
フレームがたわむのも構わず、幸せに任せて、私は猫のように頬をこすりつける。
「ドキドキする方法は、まだまだあるのですね。知りませんでした」
くしゃくしゃ、と髪を撫でられるに任せて、私は、目を閉じて成幸さんの息遣いに耳を澄ませる。
成幸さんは、あいしてるよりず、と言って、優しく私に口づけをしてくれた。