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[X]の生誕は銀河の旅路が祝うものである(前編)

 ――するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションとう声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊ほたるいかの火を一ぺんに化石させて、そら中にしずめたという工合ぐあい、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざとれないふりをして、かくして置いた金剛石こんごうせきを、たれかがいきなりひっくりかえして、ばらいたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼をこすってしまいました。

宮沢賢治銀河鉄道の夜」 青空文庫 より抜粋)






 億万のほたるいかの火、と言われたら。
 蒼い光が散りばめられた世界が、記憶のどこかにあるように思えてしまうから。
 ことばのちからってすごい。物語りって、素敵だ。
 さっきまで見ていたあの夢の世界にだって、いつでも戻れるような気がしてくる。
 いや実際、まだ夢の中にいる。

「な、成幸くん……」
「これって……」

 かたんかたん、という振動に合わせ、黄色い電灯に照らされたレトロな車内が揺れている。
 木で出来た床、淡く光っているような青い布のソファ席。その向こうの車窓は、宇宙のように真っ暗だ。

銀河鉄道……だよね?」
「だよ、な」

 そう、わたしたちはいま――銀河鉄道に乗っている。

[X]の生誕は銀河の旅路が祝うものである


 この短時間に、内装だけで銀河鉄道だと断言できた理由は単純だ。

「貰い物だ。お前の誕生日と重なっているし、良かったらふたりで行ってきたらどうだ」
「へ」
「いらなければ他に回すが」
「ちょ、ちょっとろくに見せずに話を進めないで、だよ!?」

 という流れで、お父さんが譲ってくれた舞台演劇のペアチケット。その演目が、銀河鉄道の夜だったから。
 演劇にはぜんぜん詳しくなかったから、主演の明神阿良也さん、夜凪景さんという役者さんたちの名前も初耳だったし、それが舞台演出家・巌裕次郎さんが手掛ける最後の作品だということも、知らなかった。
 タダだし、有名な演出家の人が手掛けた舞台を一緒に見にいかない? 芸能人の星アキラ(成幸くんは当然知らなかった)も出るらしいよ、ってぐらいの、ちょっと背伸びしたお出かけのつもりだった。
 それが、開演初日に劇団主宰の巌さんが亡くなったことで、舞台は、巨匠の最期の置き土産と大騒ぎになり、今日。
 劇場に入るところから、著名人や舞台ファンの怖いぐらいの熱気に包まれ、わたしたちは軽い背伸びどころか、爪先立ちでジャンプするぐらいのデートをしてきたのだ。
 ただ、本当に素敵だった。
 毎日やっているお芝居のはずなのに、まるでこの瞬間、目の前でに起きていることのように思えた。
 カムパネルラに話しかけられた途端、心底嬉しそうに笑ったジョバンニの顔を思い出す。いきなり車内に放り出されたジョバンニも、初めはこんな気持ちだったんだろうか。
 ――いや、物語の主人公とわたしたちと、決定的に違うところがひとつある。

「まずい、よね」
「あぁ……何とかして降りないと」

 成幸くんとわたしは、言葉少なに、互いの前提知識を確かめ合う。
 そう、わたしたちは、銀河鉄道が死者を運ぶ乗り物であると知っている。
 そんな場所に今「いる」ということは、ふたり生死の境をさまよっている可能性もあるわけで、普通に考えて、極めてとっても非常によろしくない。

「いま、どの辺にいるんだろうな」

 成幸くんの言葉とほぼ同時に、わたしは靴を鳴らして誰もいないボックス席に駆け込む。
 車窓に張り付くと、水晶を流したようにキラキラする水の流れに沿って、銀色に輝くすすき野原が見えた。
 頭の中の本のページを高速でめくって、ぴったりくる場面を探す。ここだ!

「成幸くん見て、あのすすき野原! たぶんまだ、物語の冒頭だよ!」

 ジョバンニとカムパネルラが再会したシーン、銀河鉄道の旅が始まったばかりの場面だ。
 続けてわたしは、ボックス席の中を見回す。

「あったよ地図も、ってわわっ!?」

 銀河ステーションで配られたはずの丸い地図。ぽんとひとりきりで置かれていたそれを持ち上げたわたしは、予想以上の重さによろめいた。
 あやうく床に落としそうになったそれを、成幸くんがわたしの手ごと、包むように支えてくれる。

「だいじょうぶか?」
「そっか、黒曜石で出来てたんだよね……この地図」

 あったかい。掌に伝わる石の冷たさとは正反対のぬくもりに安心感と元気が湧いてくる。
 だいじょうぶ、成幸くんは、『こっち側』だ。

「ジョバンニって、最後どうやって降りたんだっけ」
「自分からは降りてないよ。カムパネルラとお別れして目が覚めちゃう。ええと……」

 続く成幸くんの問い掛けに、わたしは記憶の海から星図をひっぱりだしながら、ひんやりした銀河鉄道の路線図の上を人差し指でなぞる。

「わたしの見立てがあってるなら、このあと止まるのは白鳥の停車場。そのあとも、いろんな人と出会うけど、サザンクロス駅を過ぎると誰もいなくなっちゃう。別れるのは、その後」

 コールサックを過ぎて、いつまでも一緒にいようねぇと語りかけたジョバンニを置いて、カムパネルラは遠くへ行ってしまう。
 その様子が音声付きで再生されたところで、ぞくり、悪寒が全身を襲う。
 万が一、成幸くんとそんなことになってしまったら。絶対に、嫌だ。

「それまでにはなんとかしたいよな……アナウンスがあるまで、とりあえず座るか」
「うん」

 早くなった鼓動を押さえるようにして、目の前の席に座りこむ。
 柔らかく反発してくる背もたれの感触は、幻覚とは思えないリアルさだ。
 続いて、ちょっと迷う様子を見せた後、成幸くんがわたしの隣に腰掛けてきた。
 ぴったりくっついた太ももの感触に、改めて視線をあげると、わたしたちの服装は、最高におめかしした今日の姿のままだった。
 勇気を出して開いた胸元が急にすーすーしてきて、思わずわたしは、羽織っていた上着の裾を合わせた。

「文乃、なんか思い当たること……ある?」
「ううん」

 3文字で答える間に、直前の出来事をわたしは思い出そうとする。
 本当に素敵な舞台だった。雰囲気に飲まれ、ほとんど喋れないまま劇場を出て、電車に乗った。
 そこまでは覚えている。でも、そこまでだった。
 おうむ返しに成幸くんに尋ねても、返事はまったく同じで、手掛かりはまるでなし。
 そこでひと呼吸の間があって。
 次の瞬間、コントのように同じタイミングで、成幸くんがポケット、わたしが鞄に手を突っ込んだ。

スマホは……あるわけないか」
「だよね」

 顔を見合わせ苦笑いを交わしあう。そうだよね、明らかに雰囲気を壊すしね。
 ――そしてわたしは、ぽつり、呟く。

「誰も見たことがない。だからこそ誰もが見ることができる。本当にそうだったね」
「さっきの舞台の話か?」

 うん、とわたしは頷き、座席のビロードをなでる。つるつるして高級感があるけれど、亡くなった人を思わせるように、ひんやり冷たい。

「うん。稽古の時に、亡くなった巌さんが言っていたんだって。銀河鉄道は心の中にある、だから、観客の心に作らせればいい、って。劇団員の人へのインタビューに出てた」
「だからか……すごかったよな。ステージの上、イスしかなかったのに、スモークが流れるだけでこの列車のイメージそのままだった」
「だよね。舞台演出って、作りこんだセットとか照明のことじゃないんだね」

 わたしは立ち上がって、車窓を引き上げた。
 かしゃん、と記憶にある音がする。
 カムパネルラーー夜凪さんが窓を開ける仕草をすると、効果音もないのに、本当に窓の開く音が聞こえた。
 ジョバンニに教えようと指差した先には、影絵さえないのに、いま車窓を流れていく銀河が見えた。
 いま思い返すと怖くなるぐらい、素敵な舞台だった。
 ジョバンニ役の明神さん、そしてカムパネルラ役の夜凪さんは、演じる、という言葉がふさわしくないぐらい、役そのもの、だった。
 時々、上手に演じている他の役者さんが出てこなかったら、人としての名前を思い出せなくなりそうなほどに。

「プロの劇って初めて見たけど、すごかったよな」
「うん、すごい、以外の言葉が出てこないよね!」
「お父さんにもちゃんとお礼を言わないとな」

 川面を渡ってきた冷気を横顔に受けながら、わたしも頷く。
 そう、お礼を言うためにも、なんとしてもここから戻らないと。
 物語の台詞じゃないけど、このまま戻れなかったらおっかさん、じゃなくてお母さんもお父さんも、成幸くんのお母様だって許してはくれないだろう。
 薄暗い車内が、にわかにぱっと白く明るくなった。
 青白い天の川の流れの中央に、ひときわ白い十字架を立てて、ぼおっと輝く島があった。

北十字、だね」

 はくちょう座、だっけ? という成幸くんの声にあいまいに頷きながら、わたしは幻想的なモニュメントにしばらく見とれた。
 凍った北極の雲で鋳た、という文中の表現がぴったりだ。
 ほたるいかの火といい、文字だけでこんな世界を描き出せる人は、生きている間、どんな美しいものを見つめていたんだろう。
 わたしに釣られたように、成幸くんも窓の外の十字架を無言で眺めていた。
 視界からようやく過ぎ去ると、ほっとため息と一緒に、今度は成幸くんが呟いた。

「こんなときだけど、絶景だな。宮沢賢治って、本当に星が好きだったんだな」
「うんっ、『銀河鉄道の夜』以外にも『よだかの星』とか『双子の星』とか『烏の北斗七星』とか、他にもたくさん星が出てくるお話があるんだよ! あとはね『星めぐりの歌』って歌も作ってるの!」
「へぇ、知らない歌だな……文乃、歌ってくれない?」
「え? は、恥ずかしいよ歌うなんて!」

 予想もしていなかった提案に、つい他のお客さんの姿を探してしまう。
 でも幸か不幸かこの車両、どうやらわたしたちの貸し切りだ。

「俺たち以外、誰もいないみたいだよ」
「で、でも」
「俺は聞きたいな、文乃の歌」
「……どうしても?」
「どうしても」
「…………そ、そこまで言うなら……一回だけだよ?」

 覚悟を決めてわたしは、小さく息を吸い込む。
 頭の中で前奏を流し、歌い出しを口の中に運ぶ。

「あかい」
「唯我成幸、さんですか?」

 歌声に割り込んできたその声に、わたしは文字通り、イスから飛び上がった。
 ついさっきまで誰もいなかったはずの通路に、赤い帽子を脱いで小さく頭を下げる男性が立っている。
 しゃ、車掌さん! 原作なら、ここでは声をかけてくるはずのない!

「せ、拙者たちはそのような怪しい者ではござらなくてそのッ!!」
「あ、あのその、誓って無賃乗車じゃないんです本当にッ、気づいたら急にここで!!」

 久しぶりに胃の辺りがキリキリ痛みだす。もうっ、こんな不安までリアルじゃなくてもいいのに!
 車掌さんはわたしたちのリアクションに盛大に首を傾げてたけど、すぐに仕事モードに戻り、肩掛けにしていたバッグから、白い封筒を取り出した。

「お客様にお手紙です。受け取りをお願いいたします」
「……俺に?」

 ぽかんとした顔で自分を指さした成幸くんが、続く名前を聞いて、石のように固まった。

「はい、唯我輝明様からです」

 まもなく列車は物語通り、白鳥の停車場に滑りこんで止まった。
 駅舎にある時計の針をちらっと眺めたけど、ジョバンニたちと違って下車はしない。
 代わりに、「文乃も一緒に見てほしい」という成幸くんのお願いを受けて、一緒に封筒の中身の便せんを食い入るように見つめる。

『成幸へ』
「父ちゃん……父ちゃんの字だ」

 手紙の出だしだけで、成幸くんの手と声が、目に見えて震え出す。
 もう亡くなった人からの、新しい手紙。やっぱりここは、この世と違う、銀河鉄道の世界なんだ。
 わたしはその肩にぴたっとくっつき、続きを目で追う。

『突然乗せて悪かったな。さぞ驚いてるだろう。まず、運賃は払ってるから心配するな』
「「犯人アンタか!!」」

 一秒前の神妙な空気を忘れ、わたしも一緒に声を合わせてツッコんでしまう。
 さすがにそれはねぇだろ、だよ!

『いきなしにならないよう、ちゃんと夢枕に立とうとしたんだが、お前寝ないもんだから、伝えそびれてな。慌ててこれを書いている』
「……」

 瞬転、今度はわたしたちは顔を見合わせ、そっぽを向く。
 確かにわたしも、昨日の夜は緊張しすぎて、ほとんど寝た気がしなかったけど……。
 そうなの? まぁ……と言葉を濁したやり取りをしながら、成幸くんは続きを声に出して読み進める。

「さて、呼んだのは他でもない。アルビレオの観測所にちょっと届け物をしてもらいたいんだ。届け物は車内で鳥屋が運んでくる。こんなの自分でやれと思うだろうが、その列車、俺たちは気軽に乗れない代物でな。終わったら帰れるから安心してデートの続き楽しめ……って、どこまで見てんだよ父ちゃん!?」

 盛大に動揺した成幸くんを置いて、わたしはその先に目を走らせる。

『俺の方もまぁ楽しくやってるよ。こっちでも教師だ。石っこ賢さんに習ってから、鉱石にも興味出てきて、いまは地学も教えたりしてる。だから気負わず身体に気をつけて頑張れ。 輝明より。』

『追伸:父ちゃん父ちゃん泣いてた奴が、一張羅着て、可愛い彼女とデートするようになって、父ちゃんも嬉しいぞ。またな』

 末尾の追伸まで読んだわたしは、そのまま、無言を破れなくなってしまう。やっぱりお手紙は、一緒に読んじゃだめだよね、うん。
 追い付いてきただろう成幸くんも、押し黙ってしまう。

「おっと……これは文乃宛てだよ」

 照れ隠しをするように、成幸くんが泣き笑いの顔に片手をやったまま、もう片手で一枚だけ便せんを付き出してきた。
 ほてった顔のまま受け取り、一つ深呼吸してわたしは、中身に目を落とす。

『古橋文乃 様
 初めてのご挨拶が手紙になって申し訳ない。成幸の父です。成幸は誰に似たんだか、いろんなところで不器用で、小姑の水希の相手も大変だと思うけれども、これも何かのご縁。どうか、これからも息子のこと、よろしく頼みます」

 夢見心地のままわたしは、ほんの数行の文章を何度も読み返した。
 白と黒の列なのに、成幸くんの家の写真で見た通りのお顔から、ちょっと低めの声でわたしの名前が呼ばれた気がした。
 常識じゃ考えられない。けど、目の前の手紙はいまのわたしたちを見ていたかのように、自然なことばで応じてくれる。成幸くんの、お父さんとして。
 けれども、肝心のことがまだぼやけたままだ。車内で受け取る何かを、いったい誰に、何のために運んでいくんだろう。