SSの本棚

書いたSSなどの置き場として使ってます。

Princess on a star⑦(ぼくたちは勉強ができないSS)

 
「望遠鏡とか三脚もあるけど、いらないかしら?」
「大丈夫です。少しの間、空を見上げたいだけですから」
「もう少しでスキー場の照明も消えるから、確かによく見えるようになるわよ。でも防寒だけはしっかりしてね、相当寒いわよ?」
「はい、遅い時間にご協力ありがとうございます」
「いいえこちらこそ♪」
 ランプ型にかたどられた照明のオレンジ色に照らされながら、四角いビスケット扉を押して、ペンションの外に出る。
 通路をつくるために無造作に避けられた雪が、青白く存在感を放っている。
 さくさく踏みしめる足元は、凍っていてもくるぶしぐらいまでへこんで。鼻に抜ける空気は、ミントが効いているかのよう。
「ヤバッ! 超寒ッ!!」
「ううううううウェアを貫くようなささささささ寒さです」
「ごめんね、でも寒い方が空気が澄んで、星はよく見えるんだよ」
 適当に離れたところで、肩をすくませて歩くふたりを近くに寄せ、ペンションに向けて大きく手を振る。
 瞬間、ペンション「キリスの森」の玄関灯は消え、周囲の急変に戸惑った目が、三角屋根も稜線も視界から消し去ってしまう。
 そして。


「すっ、ごーいっ!!」


 うるかちゃんの歓声を追いかけて見上げた空に、自分でも息を飲んだ。
 金銀の砂をまいたような頭上。まだ順応していない目でも、冬の大三角形の間に流れる、天の川の薄曇りがわかる。等級の違いも星座を結ぶ気持ちも飛んでしまうほどの、圧倒的な星の数。肉眼で見たうちでは、今までで一番かもしれない。
「なんだか別の世界に来たようで、怖いぐらいです」
 りっちゃんの言葉に、ウェアをこすりながらうなずく。普段見慣れない光景への、自然な感想だと思う。
 あの小さな光の一つ一つが、本当は光の速さでも年単位でかかるような遠くにあって、太陽と同じように燃える恒星だ。
 その星の周りに、自らは光を放たない星が無数に取り巻いていて、その中にはもしかしたら、生命のいる星があるかもしれない。
 そんな星々のひとつの地球に小さな島があって、街ができて。この時代にたまたま生まれ出会ったわたしたちが、こうして同じ瞬間を共有している。
 なんて気の遠くなるような、奇跡なんだろう。
「改めてお誘いありがとうございます、文乃」
「ううん、みんなにも、わたしが好きなもの知ってほしかったから」
 夜の観望会を企画したのは、わたしだ。
 りっちゃんの好きなカードゲームで遊びながら、辺りが静まる時間を待ち、スキーウェアに身を包んで、もう一度外へ繰り出したのだ。
 わたしが手にした赤セロファンの懐中電灯に、りっちゃんの首にかけられた双眼鏡は、どちらもペンションのもの。オーナーさんに星見の知識があったのも助かった。
「ロマンチックだねー」
「えへへ、そうでしょ?」
 もちろん、そんな感想もありだ。
「できれば、成幸とふたりで見たかった?」
「そうだね」
「ショージキもの」
 すぐさま、笑い返す。雪明りでも、お互いの顔は見えにくい。でも、似たような顔をしてるのは間違いないと思う。
「まったく――難攻不落の唯我成幸、だね」
「でしょ?」
「でした」
 同意を求めたうるかちゃんに、渋さいっぱいの声で応じるりっちゃん。
「あたしが言えたクチじゃないけんどさ、早くはっきりしてくんないかな、成幸っ」
 やや大きな声をあげ、うるかちゃんが雪を蹴り込む。
 周りは音を飲みこむ白一色、この寒さで人通りも皆無だから、聞かれる心配はどこにない。こんな話をするには、最適な場所だ。
「うるかちゃんはお付き合い、長いもんね」
「ま、言うほどの思い出はないんだけどさ。デートらしいデートの思い出も、ないしね」
 言って、天上の星に目を戻す。
 だんだん、星の色合いも分かるようになってきた。ベテルギウスのオレンジ色が見えて、オリオン座の鼓が浮かび上がる。
「ふむ……んー……」
 そこで、急にりっちゃんが唸るような悩み声をあげた。
「どうかした、りっちゃん?」
「あの、お二人に質問です」
「ん?」
「改めて、男女が結ばれるとはどういうことでしょうか?」
「ほへっ?」
「うぺぇ?」
「告白して思いを確かめあった男女は、付き合ったら何をするものなのでしょうか?」
「えーっとリズりん、そりゃ……イチャイチャするよね?」
「いちゃいちゃするとは、例えば?」
「ふたりでなんか食べに行って、いっぱいお話するとか」
「それは、いつもしていることではないですか」
「だよねぇ」
 お蕎麦にファミレス、うどんもそうだし、勉強中のお菓子だってそうだ。
 結構食べ歩いている気がする。
「じゃ~、休日、ふたりで一日どこかにお出かけするとか!」
「それも私、何回もしてます! 映画を見たり、お正月にお餅つきしたり、一緒にゲームイベントも参加しましたし」
「わたしも映画一緒に見たよ。まあ、台風の日だったけど」
「ちょっと、デートしてたの先輩だけじゃなかったんじゃん成幸! えーっと、じゃ、じゃあ……」
「お弁当作ってきて、公園で、どうおいしい? って聞いたりとかはどうかな?」
「ゴメン。あたしそれ……一回やって、る、うん」
「……ニンジンはそれに含まれるのでしょうか」
 りっちゃんは何を思ったのか、足元の雪で急に雪ウサギを作り始めた。
 うさぎ好きなんだね、りっちゃん。
「ただ食べるんじゃなくて、はいあーんして、とか、だよ!」
「それが恋人のすること、ですか。それなら成幸さんにしてもらったことがありますが……」
「うぺぇっ? りっちゃん、い、いつそんなこと!?」
「ひ、秘密です」
 り、りっちゃん……!
 動揺したわたしは、とっさに浮かんだマンガの場面を口走る。
「あー! じゃお姫様抱っこしてもらったりとかどうっ!」
「それも……商店街のイベントでしてもらった、あたし……」
「……」
 まさかのカウンターに、二の句が継げない。
 ふたりとも成幸くんも、いったいこの1年、何してきたんだよ?
「いやいや、ここは、恋人のおうちで二人っきりで過ごすとかでしょやっぱ!」
「よく勉強教えてもらうために」「やりましたね、うちでも、成幸さんの家でも」
 話がなんだかおかしくなってきた。
「マッサージとかボディタッチは、あ、成幸バイトでやってたかっ」「ええっ!?」「あれ、まさか!?」「あ、なしなし今のナシッ、なんでもないっ!!」
 うるかちゃんの暴走に、教室で制服をまくり上げお腹を晒し、ましてや触らせてしまった記憶が加勢して、わたしの動揺はさらに加速する。
「もー、そこまでやっちゃったら、あとはもうキスするぐらいしかないじゃないっ!!」
「……」
「……」
 騒々しさが、冷え冷えとした風にさらわれていく。
 気まずい沈黙に、わたしは盛大な自爆を悟る。
 うん、こりゃやっちまった、だよ。
「むしろそれいじょ「わーわーわー!」
 どっちの声かも確認しないまま、わたしは大声で叫んでその先をかき消す。それ以上というのは、ハダカを見せるとか体を重ねるとか赤ちゃん欲しいとか、つまり親友の前では妄想しちゃいけない範囲だ、うん。
「……で、でもあたしたち、す、すっごく言い辛いんだけどさ。一緒にオフロも、入ってるよね。成幸と、さ」
「……う、うん」
「……え、ええ」
 確かにそうだ。そうだった。
「考えようによっては、フツーの彼女よりすごいことしてない、あたしたち?」
「……」
「……」
「……」
「――お、お泊りとかしたことあるかな、うるかちゃんは」
「な、ないないないって! そんなのオリンピック級だよ!」
 何か気まずいことがあるのか、りっちゃんは雪ウサギを雪だるまに変換し、無言ででっかくし始めた。
 一緒のお布団で寝た感覚が、肌をよぎる。
 ひんやり冷たい、お母さんみたいな、あの手。
 ――わたしは、おもむろに手袋を外してしゃがみこみ、真っ白な塊に触れる。
「なんだかおかしい。そう考えたらわたしたち、この1年で、もう成幸くんと付き合ってたんだね」
「そうですね」
「ほんと、今まで5年、ほとんど何にもできなかったのにさ。この1年で結構すんごいことしてんじゃん、あたしさ」
 触れていた雪をひと掬いして、握り込む。
「楽しかったです。できるならこの先も、そんなこと、たくさんしたいです」
「うん、そうだね」
 目で見なければ砂粒のような固いそれは、体の熱であっという間に、じゅわじゅわと水に変わっていく。
 どれだけひんやりしているつもりでも、わたしたちには、これだけの熱がある。
「……さて、そろそろ、かな?」
 両腕を振り回したうるかちゃんが、ふっとペンションの方を見た。
 途端、真っ暗闇に低いバイブ音がうなりだす。
 濡れたままの手で引き出したスマホの画面に、緑の電話マークが揺れている。
「文乃っち、ちょっとだけ音上げて」
 うるかちゃんの指示は、咄嗟には通じなかった。ボタンを押したわたしは、帽子をかきあげ、普段通りに耳に運ぼうとする。
 いぶかしんだ耳に届いたのは、ガサゴソという雑音と無言。
 その音に、ようやく意識が追いつく。そうか。この電話は、「わたしに」あてたものじゃない。
 音量を最大にし、雪野原にしゃがみこんで、わたしたちはバックライトの光に耳をそばだてた。

「――いかねーのか、後輩」
 ようやく聞こえてきたくもぐった声。
 わたしに電話を掛けてくる間柄で、後輩という言葉を使う人は、ひとりしかいない。
「また熱あげて、迷惑かけるわけにはいきませんから」
「そんなヘタレを彼氏に持った覚えはねーぞ」
 成幸くんと話す、小美浪先輩だ。
「昔、言ったよなお前に。『受験が終わったらどうすんだ』って」
「……知り合ったばっかの頃ですよね。俺が受験生に恋愛は禁物ですよって言った時。なんでそんな昔のことを」
「三人から告られるとかモテモテだなお前? 完全にモテ期きてるじゃねーか、後輩」
「そんなうぬぼれちゃいませんよ。それより、何で知ってんですか、そのこと」
「隠さなかったのは褒めてやる。だけど、それは言わねー約束だ」
 通話時間を刻むデジタル数字が、音もなく増えていく。
 ペンションのある方向は、今も吸い込まれたような暗がりの中だ。
「年貢の納め時が来たんだよ。ちゃんと考えてなかったのか?」
「そんなつもりなんて、なかったんですよ」
「迷惑か、あいつらの好意」
「違います……ただ、付き合うとか付き合わないとか、そんな関係しか、残ってないのかなって、思って」
「そんな関係って、女子と付き合いたくねーって意味か?」
「あいつら――うるかも、緒方も……古橋も、あ、もちろん先輩も、です。一緒に受験を乗り越えてきて、夢とか、将来とかを真面目に言い合える大事な『仲間』なんです。それを、誰か選んで付き合うって、そんな色で塗り潰してお終いってするのが、納得いかなくて」
「ひとりだけは選べねぇってなら、ハーレムはどーだ?」
「ふざける気分にはなれませんよ、俺」
 成幸くんには珍しく、かなり怒気を含んだ声だった。
 ちょっと、うれしい。
 それでも小美浪先輩は、柳に風と受け流し、逆にしたたかに成幸くんを打った。
「まさかお前――自分が振ったぐらいで、あいつらが傷つくとか、関係終わりになるとか思ってんのか。思いあがんなよ後輩」
「え……?」
「あいつら、お前が好きだってお互いカミングアウトして、その上で誰になっても恨みっこなし、遠慮なく勝負しようって告ってんだぞ」
「……っ!?」
「その鈍感さ、ある意味称えてやりてーけどな。そうまでされて、選ばねーのも逆に失礼だとアタシは思うぞ。受験で例えんなら、出願もしないままでその先まで求めるつもりか、お前?」
「……」
「いるんだろ。本当は。じゃなきゃ最初の告白で、すぱっと返事してるだろうしな」
「――どこまで事情知ってるんですか、先輩」
「教えねー。そのつもりでいろ」
「……なら、先輩」
「ん?」
「先輩にもし、自分と家族を助けてくれた、ものすごい恩人がいたとして。何年も何年も、温かく見守ってくれていたとして。でも、その人のお願いを、どうしても自分の心が引き受けられなかったとしたら、どうしますか」
「……」
 吐いた息を当てても、鼻が痛い。
 ミントの冷たさが、薬品のような鋭い痛みになって、容赦なく肌を打つ。
「家族みたいに大切に思う気持ち、これからもずっと仲良くしたい思いは変わらないのに、どうしても自分の気持ちがそこに落ち着けない。嘘をつきたいわけじゃないのに、どうすれば、恩を仇で返さずに済むんでしょうか」
「……知るかと言いてーとこだが、これでもカノジョ、だからな。答えてやる。アタシが恩人なら、借りがあるからって本音を言ってもらえねー方が嫌だな。義理や負い目でアタシと付き合うのかって」
「俺、付き合う話だなんてひとことも」
「言い過ぎたか? ま、進路と同じ、引け目なんて感じる必要なんてちっともねーだろ。むしろ人生の幸せが、お前との関係に左右されるとか、過去引きずっちゃいますとか、そう思われてる方に腹を立てんな」
 うるかちゃんが、綿毛のように広がった明るさに顔を近づけ、二度、画面に向かって強く頷く。
「もし仮に……アタシが武元だったとして。自分の知らないトコで勝手に負い目感じて、勝手に色々しょい込まれてウジウジ悩んでたらこう言うだろうな。『好きに生きろボケ』」
「……ぁ」
「懐かしいだろ、これも二回目だかんな?」
 スマートフォンはそこで一度お喋りを止めた。
 わたしは背筋をほぐすように、顔を天頂に向ける。
 眩しい光に慣らされた瞳は、細かい煌めきのひとつひとつまでは捉えきれない。
 けどだいじょうぶ、わたしたちの星は、ちゃんとここにある。
「ま、あくまでアタシの意見だかんな、アテが外れて、ズタボロにされても恨むなよ。女はコワいぞ」
「しませんよっ!」
「ひひひ……ま、あれだ。その恐ろしさも含みで、な。お前も性別男で、仮にも好きだと言ってもらえた立場なら――」
 先輩は、そこで言葉を溜め。
 そして女優みたいに、この上なくかっこいいタイミングで、


 ――漢、見せてみろよ。


 そう、言い切った。
「……頼みはしたけどさ、いいとこ、ゼンブもってくなぁ先輩」
「まったくです」
 向こうに届くことはないだろうふたりの呟きに、わたしも同意する。
 そして胸を、痛みで締め付ける。
 うるかちゃん。
 このセリフを聞いてなお、先輩が素敵だと言えるだなんて。
 なんて強く、カッコいい女の子なんだろう。
 眼の奥まで残るぐらい見つめ続ける人工の灯火を改めて凝視して、わたしたちは、そこから届くべき一言を祈るように待つ。
「……すみません、俺、今から行ってきます!」
「おい待て、後輩」
「えっ?」
「ニセとは言え、仮にも付き合ってた彼女をフるのに、一言もねーのかお前は」
「あ、すみませ……」
「……」
「いいえ、本当にありがとうございます、先輩」
「――ま、ギリギリ合格、てとこだな。ちょっとこっちこい後輩」
「え」
「餞別と、景気づけ、だ」
「……!」
「本気にすんなよ?」

 ちょっと聞き捨てならない水音。
 ややあって、木の床を駆けていく音と、

「……ったく、ほんと、世話のやける後輩だぜ……とゆーわけで、今からそっち行くからな。も少し外で頑張れよお前ら」

 軽口のような応援を残して、電話は切れた。