SSの本棚

書いたSSなどの置き場として使ってます。

「恋愛ができない」とは?(とある考察に対する私見)

前略、『ぼく勉は失敗』認定*1の中で、比較的論理が立っていた、といわれる以下記事。


anond.hatelabo.jp


anond.hatelabo.jp

この中で主張されている『うるかの『恋愛ができない』は残ったまま」の部分を中心に、あやふやな土壌で二次創作を実らせている私めが、若干の私見を述べたいと思います。

<そもそも「恋愛」とは>
字書きの端くれなのでまずは言葉の定義から。
いくつもの辞書を引く代わりにWikipedia先生がまとめてくれているのでリンクを。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E6%84%9B

具体性の高い新明解第8版の記述*2「特定の相手に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと」を筆頭に、恋愛は「気持ちをもつ」「思う」行為とされています。
だから辞書的な意味で言えば「恋愛ができない」は特定の相手を大切にする感情が沸かないという意味で、あ、うるかちゃんと恋愛できてるじゃん。むしろ恋愛できてなかったの理珠だよね。おわり。

<「恋愛ができない」とは>
揚げ足とるのはこの辺にして、作者の筒井先生が述べている文脈(かつ、多くのラブコメ読者が想定するであろう意味)での「恋愛」として考えうるのは、

(1)好意をもっている相手*3と特別な時間を一緒に過ごすこと
(2)好意をもっている相手と特別な時間を一緒に過ごし、その結果、相手からも今まで以上の好意を向けられること
(3)相手に好意を伝えること
(4)好意を伝えた結果、好意を伝えた相手と両思いになること
(5)両想いの相手と2人だけの時間を過ごし幸せな気分になること

あたりでしょうか。
作中で(1)は(うるかが意図したとおりに事が進んでいないかもしれないけれど)、成幸相手に何度も何度も成功しています。いわゆる片思いのままドキドキするやつですね。
(3)と(4)は、いわゆる告白とその結果と言い換えられて、恋愛のあるひとつの瞬間ですよね。極端に言えばキスと同じ。これを「恋愛」「恋愛行動」と定義するのはちょっと引っ掛かります。
残るは(2)と(5)なんですが、ここで思ったんですね。

――恋愛の相手って、成幸じゃなきゃダメなんでしたっけ?

<うるかは最後まで「恋愛ができないまま」だったのか>
結論を書きますと、冒頭で引用した記事の筆者は、
・「恋愛」ができるようになる(他のキャラなら「人の気持ちが分かるようになる」「自分の幸せを優先できるようになる」)
と、
・成幸と結ばれる
を一緒くたにしている印象を受けたんですよね。
確かに成幸と恋愛ができるのは自分のルートの時だけでしょう。ただ、他のルートで、うるかが恋愛ができないままだったのかは「わからない」ですよね。
例えば真冬ルート。うるかは結婚式に出席していると推定されているけど、あえて出席するからには自分も何らかの恋愛経験を経て、かつて好きだった成幸が結婚するのを祝福できるぐらい幸せな心境になっている、と想像することはそれほど変ではないと思います。てか、もし本当に「できない」まま、成幸への思いをこじらせていたなら、好き好んで自分から傷つくマネをしますかね?
他、理珠ルートで成幸に迫る理珠を見たうるかは「あ、好きなら相手の反応なんか気にせずもっとグイグイいかないとダメだったんだ」と学んで完全に吹っ切れたから黙って旅立ち、後日他の人とその反省を踏まえた恋をしたかもしれません。成幸にアクションするのだけが「できる」ことじゃないですよね。
文乃ルートでもいったんは失恋になりましたが、プールで会った時の描写から「友達にプレッシャーかけながら応援するのも楽しいぞ、いざとなったら奪い返せばいいし!」と純愛から一歩進んだ恋愛に基づく行動ができるようになった、と邪推することだって可能です。*4

もちろん、読者、特にうるか推しがそれで嬉しいか、という別の観点での問題はありますが、「できないの克服」と「成幸と結ばれる」は分けて論じないと、他のヒロインとの比較はできないですよね。

<って言ったって>
反論あると思います。自分がぱっと思いつくだけでも以下2つは。
(1)信者の妄想乙。実際に克服された描写ないんだから「できない」ままと解するのが自然。
→であるならば、他のヒロインの「できない」克服も、すべてのルートで描写されていないですよね。あすみルートや真冬ルートでは3人娘は進学先はおろか合否すら不明ですし、第150話のようなハッピーの保証があるかは『わからない』。ならばうるかだけ克服できないままだった、と取り上げるのは変では? 全員幸せにはなれっこないからダメな話だ、という論旨ではなかったし。

(2)うるかの克服条件を「唯我成幸の一番になること(恋人になること)」と設定して自分の首絞めたのは作者。
→うるかの判定基準をそこまで厳しくするなら、他の子の「できない」も、もっと限定しないとフェアじゃないと思います。例えばあすみも「父親の診療所を継げない」ぐらいに。そうすると「どこでも小美浪診療所」って結論も、論考でいうところの『できなかったけどその代替』と言えちゃうんじゃないですかね。殊更にうるかだけを取り上げる理由はないと思うのですが。
逆に「あすみのできないは克服された」とするなら、前述した通り、うるかも「できない」を克服している可能性があるとは考えられませんかね。

<以上を、何のために指摘したの?>
引用した記事の主張をざっくりまとめると、

ヒロインレースの常道に反し、最後に結ばれるヒロイン(=うるか)を途中で出すという手法が問題にならないぐらい、この物語は強固な構造でできている。

なのに、うるかの「できない」を留置するような形(一例としてマルチエンド)を取って、作者自らその美しい構造をぶっ壊した。だから読者裏切りの代償として、散々な批判を受けても仕方ない。

だと私は考えています。この論建てに穴があるんじゃ、と思ったんです。他のルートでもうるかの「できない」が克服されているなら、何も否定される謂れはないですよね、と。*5
個人的には、いつ打ち切られるかわからないジャンプ週刊連載の中で、筆者が一定の評価をするような『強固な構造』を意図して作るのは難しいのではと考えています。キャラ設定に童話モチーフを用いて、あとは受験の流れに応じて都度都度ふんわり展開させたんじゃないかと。*6だって、理珠に親指姫的な要素ほとんどなかったし。ネズミのばあさん役も旦那候補のモグラ役もいなかったじゃん。

<ついでに>
真冬の「できない」は『家族の反対を振り切って選んだ道が向いていないと思っている』ではなく「人に寄り添った指導ができない」ではないかと思います。*7
ただ、『本人の発言』と『一生徒であり指導方法を学んでいない唯我成幸ですら達成できた緒方理珠と古橋文乃の成績を向上させることに失敗している』ことをもって「できない≒向いていない(=才能がない)」と断言するのは、些か早計だとは思いますが。
成幸が文乃と理珠の指導に成功したのは、成幸が「勉強ができない」ところからできるようになった秀才タイプだったこともありますが、その他、
・彼らの同級生で、彼女たちが受け入れさえすればプライベートな付き合いもできるという間柄だった
かつ
・教員としての他の仕事はなく、社会人に比べれば指導に専念できた
かつ
・学園長からも短期で完璧な結果を求められず、比較的長期間のアプローチが許された
という要素が加わってうまくマッチした結果なわけで、桐須真冬の指導そのものが下手だったかどうかは、同じ与条件下でないと「わからない」。*8
実際、作中で真冬が成幸に世界史を教えているシーンがありますが、成幸は嫌な顔をせず普通に聞いてます。美春から指導を受けるとき、げんなりしていたのとは大違いです。また、補習で水泳を教えてる時も、ちゃんと泳げない側の気持ちに立って教えられてますし、真冬ルートでは新人の指導役になるぐらいには、優秀な教員モデルと見られていて、その時代の教え子たちからも相談を受けるぐらい慕われてますし。
最初の教え子の日野音子で失敗したというのも、教員として駆け出し&音大への進学希望という極めて特殊な相手へのアプローチ*9だったので、これを過度に一般化するのは、桐須真冬本人の認識も含め、問題だと思ってます。

<最後に>
『誤読』だの『信仰』だの『この作品の主張なのであって』だの『ジャンプで何年も連載していた漫画家を甘く見過ぎだろう』だの、随所でなかなか強い調子で他人の意見を斬りつつ自説を述べていらっしゃいますが、筆者が、
・アシスタントや編集者
または
・家族やプライベートな友人
など、この漫画の裏事情を知りえる位置にいたわけではない限り、どの考察もあくまで個人の推論の域を出ないのであって、どこかに「あくまでも私的な考察」「間違っているかも」という余地を残しておく方が安全かつスマートかとは思います。
が、匿名で存分に思いの丈を述べ読解力がない下々の者を教え諭したい、という願望を優先するのも個人の選択ですからね、止められません。代わりに有名なジャンプマンガの台詞をもって、本稿の結びとします。

『あまり強い言葉を遣うなよ 弱く見えるぞ』

*1:筆者の増田先生は当初失敗認定をする意図はなかったというが追記等を見るにそう括っても間違いとは言われないと思う

*2:第7版の記述の「特定の異性」の部分のみ書き改めた

*3:ぼく勉は異性愛が前提であるけれど、前述の新明解の改訂、及びこばやんルートを幻視する勢を考慮し同性愛も含めた書きぶりにする。以下も同様

*4:あくまで邪推。常識的に考えたら羨ましくてからかっただけと読むのが自然

*5:そもそも叩いている派の火点もそこじゃない気がするなーと思う

*6:これは実際に自分が他のキャラに童話モチーフを当てはめて書いた実感からもそう思う

*7:「この人ができないのは何ですか」という問いに「●●ができません」と答えないの、国語のテストならペケにされてもしょうがないのでは

*8:実際、成幸自身も第一話では諦めろと言って反発されているので、主人公じゃなきゃ同じ末路になってた可能性はある

*9:そもそも音大進学の相談を師事している先生ではなく普通科の教師に委ねている現実離れした描写については、全力でツッコミを受けても仕方ないと思いますが