SSの本棚

書いたSSなどの置き場として使ってます。

文乃不在の喫茶店(企画応援SS・こんぺいとう's world side)

f:id:algolf:20210326145023j:plain

※本作は、こんぺいとうさんの「古橋文乃ストーリーズ」の世界の三次創作(二次創作の二次創作)です。未読の方はぜひこの機会にご覧くださいませ。

shiroxatou.hatenablog.co

 
銀星珈琲の朝は早い。
朝一番の客としてからんとドアベルを鳴らし、着ていたスプリングコートを乱雑に脱ぎながらいつもの席に座るまで、数十秒。店の奥の気配を感じるまで、さらに十秒。なのに、奥から出てきた店主にコーヒーと頼むまで、あたし天津は、柄にでもなく体を震わせ、落ち着かなかった。
「妙にそわそわしてるじゃないか天津。古橋を見習って、これから男と待ち合わせかい?」
不審な様子はとうにお見通しだろう、火にかけ始めた銀のポットからあがる、湯気の塊の向こうから、店主のからかい声がした。
「幻聴かな? 妙な単語が聞こえたけど。まあ春だしね」
あたしはぞんざいに返す。人生の大先輩でもあるマスターに対し、ずいぶんなご挨拶だけど、あたしの中身を知っている麻子さんなら、冗談も選びようがあるじゃないか。いや、知っているからこそ選んだかもしれないが。
「じゃあいつぞやみたいに、古橋と彼氏の仲直りの手伝いかい?」
「もうあんな経験はできないね、絶対に。唯我くんはあの手の失敗を繰り返すアホじゃない」
「違いない」
苦笑が聞こえて、また開いたばかりの店が静寂に戻る。
麻子さんがドリップを繰り返している間も、見慣れた窓の外を見ながら、あたしは足を繰り返し動かし、時々催促するように床を踏み鳴らす。いつ以来だろうか、こんな緊張感は。
しばらくして、時代がかった花柄のコーヒーカップが置かれる。
置かれるなり、よく確かめないまま熱々の中身を一口飲んであたしは、
「!?」
口じゅうに広がった奇妙な風味に、取り繕うこともできず、顔をしかめた。
よくよく見れば、色もややうっすらとして、想像していたのとはまるで違う。
「これ紅茶じゃん!!」
「ご注文通りコーヒーだよ、 れっきとした。高級なんだから、文句を言ったらバチが当たるよ」
そう言った麻子さんは戻ったカウンターの後ろから、小ぶりな豆の袋を取り出し置いた。
「普段のブレンドには使わないけどね」
エチオピア・イルガチェフ。薄暗い店内で何とか表面の単語を読み切って、嘆息する。確かにあたしは、ブレンドと言わずコーヒーとだけ注文したから文句は言えない。完全に一本取られた。
もう一度、今度は覚悟して、その液体を味わう。
「……うん」
浅煎りなのかどこか薄口で、エキゾチックな果実味に隠れた粉の苦みに、あたしの舌もようやく、これもコーヒーなんだと認識する。ただ、あたしはいつもの味の方がより好みだ。
「春だからね。いたずらの一つもしたくなったんだ、その分のお代はいいから許しておくれよ」
そう言って麻子さんはいつものカップにいつものブレンドを注ぎ、モーニングのトーストと共に傍に置いてくれる。
最初からあたしが来たらこうするつもりだったか、それとも朝一番に生意気な口を聞いた若造への『お仕置き』だったか(まぁ、春だからね、の響きからして、確実に後者だろう!) 相変わらず茶目っ気の強い人だ。
仕方なくあたしは、さっきから続けている不審な態度の理由を白状する。
「―—文乃ちゃんが、初めて学会に出るんだ」
「おや」
トーストをかじる音に合わせて、麻子さんが意外そうな声を上げる。あたし同様、この店の常連の彼女が、店主にそのことを内緒にできるとは思えない。今のおや、は、他人の発表にそわそわしているあたしの態度に対して、だろう。
「研究室の都合で、今回、一緒には行けなかったからさ」
言っている間にも緊張で喉が乾く感じだ。あたしがこの例えをするのは確実に不適切だろうけど、大事な娘を嫁に出す父親というやつは、たぶんこういう気持ちなんだろう。彼氏の唯我くんも舞台が学会では、応援しかできないだろうし、今頃同じように気が気じゃないに違いない。それだけ心配したくなる後輩なんて初めてだ。
「文乃ちゃんの実力なら平気かなって信じつつも、やっぱり学会独特の空気はさ、心配で。でも向こうで、別の学会に出る高校時代の仲間に会えるからって、本人は楽しそうだった」
「へえ、学会に出るって、ずいぶんな友人だね」
「ちょっと説明しづらそうだったけど、『仲間』だって強調してた。ちなみに同性だよ。たぶんもらった写真にいた」
あたしは、集合写真のデータをスマホに映し、誘う前から寄ってきた麻子さんに拡大して見せる。
まず前提として、この写真に写っている子は全員、お姫様と名乗っていいほどの美人揃いだ。その中から指さした彼女も、とびきりの美人の域。
そう、美人なんだ。
「これはまた……面白そうな子だね」
でも、麻子さんの年季の入った上手な言い回しに、あたしも苦笑を並べる。そう、人当たりがよく分かりやすくて誰からも親しまれる美人の文乃ちゃんに比べて、一筋縄ではいかせないぞ、という瞳。こういうのが好きな男にはたまらないだろう。
改めて画面に目を落とす。雰囲気から、この子をはじめとする他のみんなも、この中に唯一映る男性に好意を持っていたのは間違いない。
あの文乃ちゃんがぞっこんになってしまう「成幸くん」。当時は他の女の子にもさぞ一生懸命で優しかったんだろう。意識せず距離を近づけるような振る舞いなんかして、彼女たちをやきもきさせたりして。
奥ゆかしくて優しい文乃ちゃんはたぶん、自分の意に反して応援なんかしちゃっただろう。そうこうしているうちに女の子同士、恋のさや当てを始めて、どっちを応援すればいいのと迷ったりして! きちんと想いが届くまでは、きっと胃薬が手放せなかったに違いない。
「……なんだい、今度は締まらない薄ら笑いなんか浮かべて。本当に落ち着かないね天津」
「……いや、ちょっとね、くっだらないことを考えてさ」
本当に本当に、そんなことだ。文乃ちゃん風に言わせてもらうなら「ほんの少し妄想で遊んだって、許してほしいんだよっ」というところ。あたしにここまでさみしく不安な思いをさせてる可愛い後輩への、少し意地悪な妄想だ。
もし文乃ちゃんが、当時彼女たちの誰かから、唯我くんを意識させたいから協力してほしい、なんて相談を受けたら、なんて。
もちろん、神様が何回サイコロを振ったところで、その後の結末は絶対に今と変えられないと確信しているからこそできるお遊びだ。あのふたりが一緒にいるところを見て、この世には人知を超えた深い絆があると気づかない輩がいるなら、思い上がりを糺す必要があるから、ぜひ目の前に連れてきてほしい。
その証拠に、試しにやってみても、唯我くんが文乃ちゃん以外を意識している顔を思い描くのは、驚くほど困難だ。
「春だからね」
悪戦苦闘するあたしに見切りをつけ、からから笑って、麻子さんは奥に引っ込む。
「……しかしあたしが、許してほしいんだよっ、とか言ったら、ねぇ?」
我ながら本当に似合わない言い回しだな、と苦笑して、あたしはいつものコーヒーの続きを啜るのだった。