SSの本棚

書いたSSなどの置き場として使ってます。

正映鏡(マリア様がみてる・瞳子SS)

※過去の自作の再掲
※要:『妹オーディション』読了


《正映鏡》


 寝不足気味の頭を振って、私は今日も、鏡の前に立つ。
 寝乱れたままの髪の毛に右手を当てると、『鏡』の中の私はいつも通り、向かって左側の手……『右手』を上げた。
 ぼうっとしていた頭が、見慣れているその光景に一瞬ぎょっとなる。
 その情けない顔も『鏡』は何も言わずに映し出す。その光景が、私にふと、学園祭前のことを思い出させた――。


「……何でこんなに大勢でくるんですか」
「えー、だって瞳子ちゃんが『面白いものを見せますから来てください』って言ったんじゃない」
「それはそうですけれど…」
 ある日の放課後。私は祐巳さま――結果的には、祥子さまを除く山百合会フルメンバーを、演劇部の道具置き場に呼んでいた。
「それより何、面白いものって」
祐巳さんだけにしか見せられないようなものなら、私も乃梨子も戻るけど……」
「焦らなくても、逃げるもんじゃありませんし、誰にでも見せられるものです――これですわ」
 言いながら私は大道具のひとつに近づき、かかっていた覆いを一息に外した。
 そこから現れたのは……一枚の全身鏡。
「この、鏡?」
 半分は声、半分は視線で。半信半疑を主張しながら6人が「面白いもの」の正体を見ている。
「そうですわ」
「どこにでもある普通の鏡じゃない」
 と、『鏡』に手を伸ばした由乃さまが、次の瞬間面白いほど顔を引きつらせて凍った。
「れ、れれれれれ令ちゃんこの鏡のろわれ……」
 それは驚くだろう。右手を伸ばしたら、鏡の中の自分も右手を出してくれば。白薔薇姉妹も恐る恐る手を出しては、やはり起こるおかしな現象に驚いている。
「ただの鏡じゃないのね」
「ええ、『正映鏡』というのですわ。正しく映る鏡と書いて」
 令さまの問いかけに、私は得意げに鼻を鳴らす。
「簡単に言えば、他人が見ている『本当の自分』を見られる鏡、なんです」
「……瞳子、どういう原理なの、これ?」
 一番早く立ち直った乃梨子さんが、興味深そうに鏡へ近づく。私はキャスターのついた鏡自体をくるりと回して、それに応えた。
「鏡二枚を直角に当てて透明ガラスをはめ込んで、こんな風に三角形を作るんです。そして中に水を入れる……そうしてつなぎ目を消すのがポイントなんだそうで」
 二つの鏡に跳ね返った像が、こうして、「正しい向きに」映し出される。ただ、これだけ大きいものは珍しいんですよ、と最後に私は付け加えた。
「原理は分かったけれど、こんなのいったい何に使うのよ?」
 醜態を見せたと思ったのだろうか、由乃さまがいつも以上に険悪な声で突っかかってきた。よほど恥ずかしかったに違いない。
「演劇は、常に他人の目を意識しなければいけませんから」
 だけれどそれを斟酌しないで私も、あっさり答えを切り返す。
「動きが観客にどのように映っているか、表情はどう見えているか、それをチェックするために必要なんです。後はスポーツ選手がフォームを確認するときなどに……って祐巳さま!?」
 そうだった、他の人に気をとられ、一番見せたかった人が視界から消えていた。
 いつの間にここまで来ていたのだろう祐巳さまは、鏡の隣で説明していた私の首に腕を掛けると、無理やり正面に連れ出した。
「ちょ、ちょっといきなり何するんですか!」
「すごいよ、こんな面白いもの、どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」
「た、たまたま思い出しただけで別に…」
「だってすごいよ、鏡にもここにも、いつもとまったくおんなじ瞳子ちゃんがいるんだもん」
「普通の鏡だってそれは変わらないでしょう?」
「違うよ、さっき瞳子ちゃんが自分で言ったじゃない。この鏡は『本当の姿』を映し出してくれるって」
「自分で自分の姿を見た時の話です、それは」
「なら……いつも瞳子ちゃんの瞳には、私が、こんな風に映ってるんだね」
 はしゃいでいた祐巳さまの視線が、その瞬間、艶のあるうっとりとしたものに変わった。
 私は、背中にいながら正面に立つ『いつもの祐巳さま』と目を合わせてしまう。
(……どうして私は、祐巳さまにこれを見せようと思ったんだっけ)
 物思いにふける暇を与えず、鏡はどこまでも正直に、真っ赤になっていく私の顔を映していた――。


 制服を身につけ、もう一度私は、自分の持つ正映鏡の前に立った。
 鏡に映る、「他人から見た」自分。
 ひねくれて、この髪のように気持ちが渦を巻いて、いつまでも素直になれない私……。
 だめ……今はまだ、言えない。こんな自分のまま、オーディションになんか出られない。周りにどんなに言われても、乃梨子さんにお節介されようとも……。
 でも、もしも何かあったら。自分が自分の行動を許せる、そんな日がきたら。そのときは、きっと……。

 だから神様、もう少しだけ…………。