SSの本棚

書いたSS置き場として使ってみます。

観客席の特権(マリア様がみてる・志摩子×蔦子SS)

※過去の自作の再掲
※要:『レイニーブルー』の読了




 梅雨明けがTVで宣告された日の、晴れ上がった朝早く。
 私は中庭でようやく一人になった標的へ、ごきげんようの挨拶もなしに低い声を飛ばした。
「……しゃべったわね、志摩子さん」
「あら、何のことかしら」
 白薔薇さまこと志摩子さんは、季節を問わない心地よい笑顔で、しれっと答えてくれた。
 制服を着たマリア様という通り名は、最近より実感をもって当てはまっている気がする。
 なにせ顔を見た途端、呼吸のリズムが狂いだす。意識してしないと息が止まって苦しくなってしまうのだから。
 しかしそれで矛先を鈍らされている暇はない。こっちは苦言を呈しに来たのだ。
「私が撮られるの苦手って秘密。どう説明したのか知らないけど、祐巳さん血相変えてきて大変だったんだから」
 そっちの世界は見ているだけがいいなんて、蔦子さんも失うより身軽でいたいって思っているの。
 前の志摩子さんみたいにいなくなっちゃうつもりなの。
 嫌だよ絶対、どこにも行かないって今ここで約束して。絶対一緒に卒業するんだから!
 回りも後先も考えずに飛び込んできて、しっかり捕まえてくれて。一年生の終わりに同じことをされた志摩子さんの困惑と喜びが、本当によく分かった出来事だった。
 私の写真に写りたくない理由は、けれど、そうじゃない。
 確かに、過去という何かに縛られたくないという思いもあるが、私のその感情はある種の哲学に裏打ちされているものだった。

 人は写真に写ることで、そこに自分があったことを信じる。
 対して私は、写真に映らないことで、写真を撮る変わりなき自分を信じたのだ。
 写ってしまえば、過去の瞬間の自分に会ってしまうから。自分でない自分と、対峙してしまうから。
 それは自分だけはいつまでも変わらないでいられるはず、という怯えにも似た願望だった。
 舞台の上の人のように、踊り、悲しみ、傷付きたくないという気持ち。
 観客席の特権を決め込むことが、いつしか最高の幸せだと思っていた。

祐巳さんは私にとっても、蔦子さんにとっても大事なお友達でしょう?」
 私の思考の葛藤を知ってか知らずか、志摩子さんはさっきよりもより暖かに微笑んでみせた。
 今の彼女にフランス人形という表現は当てはまるようで当てはまらない。
 磁器のような整った美しさがいい意味で薄れ、艶と温みが出たような、そんな感じだ。
 普通の人が「妹を持って変わったね」で片付けてしまうその変化は、長く見続けている私に戸惑いを覚えさせ、不安に陥れる。
「口止めもされてなかったし、いいかなと思って」
「よくない」
 抗議の意味をこめ、カメラを向けて無意味に私はシャッターを切った。
 小悪魔な藤堂志摩子。ちゃんと撮れていたら白薔薇さまファンにはさぞショックの大きい一枚だろうなと思いつつも、この適当なシャッターではそれも叶うまい。
「アレは唯一にして最大の弱点なんだから」
 声の調子を緩めず、私は突っかかる。
 何で、自分はこんなにも怒っているのだろう。
 志摩子さんの言うとおり、祐巳さんが大事な友達であることは間違いなく、自分の弱点の一つくらい言ったって構わないはずだった。
 でも、あの秘密は志摩子さんだけしか聞かせたくなかった。
 祐巳さんが私を問い詰めてきた瞬間。
 そのときから、志摩子さんへ、憎しみに似た思いだけが膨らんでいった。


 そう、あの日、自分が陥落したから。
 好きな人の、痛ましい顔に耐え切れず踏み込んでしまったから。
 恋心を潰してしまったから。


 あの被写体、この被写体に次々と心を寄せては忘れていく自分があそこまで執着したのは、祐巳さん以来だったのではないか。
 祐巳さんをなぞるように、結果的に姉妹を作る手助けをしてしまって、想いは終わったはずなのに。
 ロザリオの関係ができてしまった今の志摩子さんにも、自分は、惹かれていると言うのだろうか。
「そんなこと言ったって私のお姉さまは」
「軽いノリの人気者、佐藤聖さまでした」
「そうよ」
 ……いや、今のほうが。
 ずっと、魅力的だ……。
 風もないのに、ファインダーの向こうの彼女の髪は羽根のように柔らかく見える。梅雨の重みのない、朝の涼しい空気の中だから、なおさら。
 と、動かしていないはずのカメラの視界の中で被写体がズームになっていった。
「怒らせちゃってごめんなさい。蔦子さんだって素敵な被写体なのに、って思ったからつい」
 温かくて湿った固まりが、ぺとりとつく。
 一瞬遅れて感じた、自分と違う髪質の感触と甘い空気を理解した瞬間、私の鼓動が四倍速で加速した。
「ど、どどどどどど」
 祐巳さんのような無邪気な笑顔は、いまや彼女のお姉さまだった聖さまの持つ、嗜虐交じりの物に姿を変えていた。
「これが私のシャッター音。何回でも撮り続けちゃうんだから」
 二回、三回と彼女は何のためらいもなく私の頬にキスの雨を降らせる。
 あの聖母さまが、私に、こんなことをしてくるなんて、信じられない。
 熱病に浮かされるような幸福感に包まれながら、ふと聖女のイメージを壊すような軽薄さに我慢ならなくなって、私はカメラを離し志摩子さんのおとがいを押さえて睨みつけた。
「ピントがあってないわよ、白薔薇さま
 自分の人差し指を、それとなく唇に向ける。
 浅い好意なら、ここまではっきりと迫られたら引いてしまうはずだ。
 一瞬だけ、白薔薇さまはあっけに取られた表情を見せた。
 ――撮らなかったことをこの先一生後悔しそうな、夢にまで見そうな表情だった。
 その感情が押し寄せるより先に、志摩子さんはくすくす笑って、私の両肩に手をおいた。
「さすがカメラマンね」
 ほとんど力がこもっていなかったのに、その手が動くと導かれるように身体が志摩子さんに正対した。
 それでも物足りないのか、志摩子さんは顔を近づけ、どんどん間に流れる空気を甘く発酵させていく。
 ああ、もう、敵わない。完全に見透かされて遊ばれている。今の志摩子さんは、もう完全な学園のトップ、白薔薇さまだ。
「あ、当たり前でしょ。私を誰だと思っているの」
 観念しきりながら、最後に私は精一杯の虚勢を張った。
 絶対、自分からは言わない。自分から言ってしまうなんて、完全敗北を認めたみたいで癪だもの。
「私が大好きな、」
 肩に乗せていた手を首に回して、顔全体が見えなくなるほど近づけながら、志摩子さんは蜜の声で囁いた。
「そして私を大好きな同級生、武嶋蔦子さんです」
 私が聞き終わると同時に、想い人は唇で私を絡めとった。