突然ですが、告白してもよろしいでしょうか~?
……なんて、聞こえるわけありませんよね、古橋文乃姫。
先ほど私の号令で、あなたは悲鳴とともに、お着替えに行ってしまわれたのですから。
二年前の、この時期でしたね。
「鹿島さんのこと、前からカワイイと思っててさ」
私が、あまり気の進まない告白を受けていたのは。
「文化祭、いっしょに見て回りたいんだオレ。つきあってくんない?」
でも、私も若くて、まだうぶでしたから。
そもそも付き合うって、本当に相性が合うか、試すことでしょう。
何か、発見があるかもしれないと思って。
なんとなくで、その告白、受けようとしていたのですね。
なのに。
「短期間ですごい変わり身。まるでボウフラみたいでステキな告白だね」
すさまじい毒舌が抉りこんできたのですから、どれほど私が驚いたか、あなたは知らないでしょう。
そしてきっとあなたは、これを知ったら、取り消してっ! と手を振り乱して叫ばれるのでしょうね。
でも私の心、ばっちり覚えてしまっていますの。
あなたの最初の記憶は、例えようのない、怒りの顔なんです。
空気の色が違う、なんて、ありきたりすぎる表現でしょうか。
美人が怒るとこれほど怖いのだと、私まで背筋を凍らせて、呼吸を止めたんです。
あの男はあなたを見たとたん、二の句も告げず、猛然と走り去りましたよね。途中で無様に二度も足をもつれさせ、三度目についに転がって四つん這いで逃げ去って。
「だいじょうぶ、でした? 思うところがあったので、つい」
私の固まった顔を見て、一転目を伏せ、恥じらうようにうつむいたあなた。
どんなスタイルにも、意のままに従いそうなさらさらの髪。
お化粧品が遠慮を願い出そうなお肌。
目元を彩る睫。甘い香り。
華奢な肩に、スカートから覗く足の細さと長さ。
全てがスペシャルオーダーでできているようなあなたの身体に、息を飲み、眼を離せなくなったこと、忘れられません。
「真っ先に声をかけたわたしが断ってから、誰彼構わず、声をかけているみたいなんだ、あの人」
だから、真っ先にという言葉にだって、少しも嫌みや自慢なんて感じませんでした。
あなたの隣で歩けたら、きっと、誰もが振り向くでしょう。
あんな男の、ちっぽけな自尊心も満たされることでしょう。
誰もが、私だって男子なら、きっとそうしたくなるのでしょう。
助かりました、と言うのが精いっぱいだった私。
そこから、やっと今のあなたに繋がりますね。
にこっとした笑みで、お礼なんていいよと言ってくれたあなた。ようやく名前を聞くことができました。
「わたし、古橋文乃。よろしくね!」
あなたが近くのコンクリートに座り込んだので、私も座り、話しかけました。
「ありがとうございます。勇気、あるんですね」
私も少林寺をやっていますから、荒事だったら負けるとは思いません。
でも、自分の心に迷いがあったら別です。
「そんなことないよ。男の人、全般苦手かな。お父さんが怖くて」
「そっか、お母さんも大変ですね」
「――ごめんね、いないんだ、わたし。お母さん」
とっさによぎった言葉は、地雷。
さっきのあなたの怒りを思い出し、わたしの凍った血、全身の神経を嫌と言うほど刺しました。
「ごめんね、いきなりそんなこと言われてもコメントできないよね」
なのに。
私よりも畏まり、落ち込んだあなたに、すっかり私、心を奪われてしまいました。
美しく、心優しいお姫様って、本当にこの世にいるんだって。
そこから、お互いを知るために、たわいのない話をしましたね。
私の友達のこと。
この半年ぐらい教わった、先生たちのこと。
あなたは数学がとても苦手で、数式を見ると頭が真っ白になってしまうこと。
私も自慢できる成績ではありませんが、それでもテスト前に、助けてさし上げたこともありましたね。
赤点スレスレではありましたが、姫を進級させるお手伝いができたことは、私の、ささやかな誇りです。
そうそう、今思い出しました。話しながら、何回かすとん、と視線が落ちてましたよね。
確実に胸元、測ってましたよね。気づいてましたよ?
もしかして、あの親指姫みたいな子でしたら、見逃されていましたか私?
部活の時間になったので、惜しい気持ちを押さえ、私は立ち上がりました。
一緒に立ち上がらないから首をかしげた私に、もう少ししてから行くよと言って、笑っていたあなた。
――許してくださいね。あの日の私はそれに気づけるほど、まだ賢くなかったのです。
いまなら分かります。
あんな男でも、あの台詞を投げつけるために、どれほどの勇気が必要だったか。
あなたは、私以上に、怖くてたまらなかったんですよね。
その結果、すぐに立ち上がれないほどに、膝を震わせていたのですよね。
親友でも何でもない、私のために。
その最低な男のおかげで、しばらくすると女子に小さな輪が出来ました。
姫に救われた子。姫に救われた私のような子に、助けられた子。そんな子たちの小さな集まりです。
みなの思いは最初からひとつでした。
青春の思い出を汚されずに済んだ、あの彼女に報いたい。
だから、彼女には、女子のネットワークを駆使して、あらゆる角度から分析した、最高の男性だけを提供しよう。
私たちのスクリーニングの前に、姫に声をかけることなく散った数が両手になった頃、誰からともなく私たちは、自分たちをそう呼び始めました。
そうと知らなくても、耳にはしたことが、あるかもしれませんね。
『いばらの会』と。
――だから、山岡の時は、人生最大のミスでした。
3-Aに会を設置をすることかまけていて、よりによってあんな男を姫に近づけてしまうなんて。
本当は直接謝りたい。だけれど、できない。
その名を口に出すのも忌まわしいあの男め、どんな目にあわせてやろうか。
腸が煮えくり返りそうな思いで、私は当てもなく校舎を歩き回っていました。
「いい加減にしろよなんなんだよあんた!?」
自分が打たれたように、私は痛みを感じて、声の方を向きました。
その先には、ひ弱そうなガストンと取り巻きと、そして見慣れない男子がひとり。
……山岡!
手を握りしめ、私は今からはじまろうとする展開を目に焼き付けようとしました。
何か理由がつけば、遠慮なく拳を叩きこんでやるために。
なのに。
見慣れない男子の方が、なぜか頭を下げました。
「俺は、あいつの『教育係』だから」
きょういく、がかり。そんな係が、いつからできたのだろうか。
頭で、やり取りが巻き戻され、頭の中を激しく巡ります。
古橋文乃、の教育係。素行なわけがない。文字通りの勉強。文系科目なわけはない。では、理数科目を? 今から?
「さっきからあんた意味わかんないんだよ気持ち悪い!」
混乱する私の前で突き飛ばされ、強く柱にぶつかる彼。
柄にでもなく私は悲鳴をあげかけ、でも飲み込みました。
額から血を流した顔。私より強そうでもない身体。
殴り返すでもなく、すがりついて「告白を待て」と繰り返すだけの、全くかっこよくないその姿。
でも、その、決して揺るがない意思に、私は目を奪われました。
やがて捨てゼリフを吐き駆け去っていく山岡の行く手は、日がまだ高いのに薄暗く見えました。
その反対に。
「結果オーライかな!」
ひとり笑って鼻を拭く姿は、輝かんばかりで。
私は、立ち尽くしました。
こんな人が、学園の中に、まだ残っていたのか。
姫より大きく成長してしまった胸の前で、今度は優しく手を握りしめ、私は根拠もないのに、悟りました。
――彼です。彼がきっと、眠れる彼女の王子様です。
だって。姫は、なぜか舞台劇のようにそこにいて。
「唯我君ムチャしすぎ!!」
傷ついた王子様の手を引いて、すぐに舞台袖に向かって消えていってしまったのですから。
だから、心の中ですけど、いま告白します。
『3年A組の』いばらの会の皆さん。巻き込んでしまってごめんなさい。
私の中の結論は、あの日に出てたのです。
これまでのことは、彼のお披露目と、証拠固めです。
私、目には自信がありますから。
当たり前です。この大きな学校で、何人の男どもをふるいにかけてきたとお思いですか。
あとから入る彼の不純な話にも、私の見立ては変わりませんでした。
彼女を、ついに託せる人が来たのだ、って。
でなければ、あなたが外泊した写真を見つけ、心が弾むなんておかしいでしょう?
文学の森の、眠り姫。
アニメの中に踊るモダン・プリンセスたちに比べ、なんて古式ゆかしく、歯がゆい、彼女なんでしょう。
誰かと戦うことなんて知らず、王子様を待って、眠り続けるあなた。
友人のために胃を痛めて、たびたびクラスで震えていたあなた。
それが、本当は胃ではなく、恋するあなたからの悲鳴なのだと、何度喉まででかかったことでしょう。
そのストレスが、時折、びっくりするような強い毒舌を借りて、外に出ていたのでしょうね。
そんな棘のある言葉たちも、夏を過ぎたころから、心の内に閉じ込められていきました。
『古橋さん』は気づいたか分かりませんが、私は信じてます。
きっと眠れるあなたが、王子様の目を意識したからだ、って。
だけれど、数えきれない昼と夜を越えたいばらは、それでもう待てなくなりました。
あなたの恋が目覚めるか、覚めない眠りについてしまうのか。
見守るだけは苦しくて、切なくて。
ふとした瞬間に、大事な王子様まで、トゲで刺してしまいそうで。
閉まった戸の音で、私は物思いから現実に還りました。
文乃姫が去った教室の明かりが消え、プロジェクターの光が、正面から私を照らします。
「さて~、では本題に入りましょうか~」
――時は、来ました。
いばらは、諦めの悪いヴィランではありません。
相応しき王子様が来たその日には、自ら道を開く度量は持ち合わせているのです。
だから。
人魚姫よ、遠くの海で、静かに泡となっておくれ。
親指姫よ、ツバメに乗って、異国の王子に嫁いでおくれ。
やはり悪役(ヴィラン)かと、私はひとり吹き出しました。
この学園の悪役なら、さしずめあの方でしょう。
火炎の代わりに吹雪をまき散らし、流行りの映画のように国をみな凍てつかせてしまう……そうでしょう『氷の女王』?
擦り切れるほど見返した台本に、また目を落とします。
姫を眠りから覚ますための、昔ながらのストーリーの書かれたそれを。
さあ、王子様、間違いなく姫を起こしてくださいね。
何せ、恋する少女という自分さえ、眠らせてしまうような彼女です。
外に見えてる、強くて姉のように人を支える姿は、本当の姫とは違うのです。
そして、あなたが眠りを解いたなら。
いばらは、喜んで姫の花飾りになりましょう。
花になった私にも、あなたの顔、よく見せてくださいね。
私の素敵なお姫様を託す王子様、憧れの、その凛々しいお姿を……
姫眠る森のいばら~Can thorns have a dream?
fin