SSの本棚

書いたSSなどの置き場として使ってます。

Yestaday,Once more(マリア様がみてる・聖(×祐巳)SS)

※過去の自作の再掲


 ……ずっと変わらないよと抱きしめては

 何もかも手に入れたと思っていたよ。



《Yestaday,Once more》



「えいやっ」
 ベッドを持ち上げると、フローリングの床の上に、リボンが挟まっていた。
 深い緑の、リリアンカラーというべき色の、少し癖のついたリボン。
 祐巳ちゃんが落としていったモノに違いない。
 そこまで掃除を不精していたわけじゃないけれど、残っているなんて不思議な感じだ。このときは、髪をとめずに帰ったんだろうか。
 いやいや、そんなことあるはずがない。寝るときに外したとしたって、帰りに無くて困っていたら、家を逆さまにしたって私は探したはずだから。
 あまりに渡していて、いつなのかは定かではないけれど、あげたプレゼントの中には髪留めもあったはずだ。プレゼントの方をそのままつけて帰った時があったんだろう。
 私は持ち上げた本来の目的も忘れて、そのままベッドをうっちゃり、リボンを手に取る。
 手に取って見詰めた瞬間、リボンで髪を留めていた祐巳ちゃんの、斜め後ろ姿が脳裏をよぎる。
 そしてその姿は、当たり前のように振り返り、私に微笑みかける。
「似合いますか、聖さま?」
 なんて、音声までついて、微笑みかけてくる。
 やれやれ。
 1年も前に別れた祐巳ちゃんを、こんなにも鮮明に思い出せてしまうとは。
 私は床に座り込み、ワンルームのこの部屋を見渡した。
 白い壁の、ごく平凡な一人暮らしの部屋。
 この部屋を借りて一人暮らしを始めたのは、大学に行くと決断するより前から決めていたことだった。
 お金も貯めた。バイトも探した。最後は半ば飛び出すように家を出たんだった。
 大学生になった私は、めぐり合った祐巳ちゃんを恋人にした。
 行き来は、もっぱら、祐巳ちゃんがこの部屋にやって来た。
 祐巳ちゃんには、この小さな部屋がよく似合った。テレビの前にちょこんと座り、何かをパクパク食べる。
 時折、思考に沈んでしまう私の手を引いて、ベッドにもぐり込む。眠っている間は、手をグーにしている、そんな癖まで見つけてしまった。
 二年生も終わりに近づく頃、私たちが一緒にこの部屋で過ごす時間は長くなった。
 ユニットバスで髪を切るのにチャレンジしてみたり。夏にやり残した線香花火を、ベランダで興じてみたり。
 夜眠る前には、祐巳ちゃんが私の腕の中にいて。
 朝に目覚めると、祐巳ちゃんの寝息が私の耳元をくすぐる。
 なんてコトない日々だった。
 将来に何の責任もまだ何も負っていない、学生同士カップルの多くが過ごすそれと変わりない日々だった。
 私は、リボンをじっと見つめる。
 そう、このリリアンカラーは、リボンとしては不向きだ。黒い髪の持ち主がつけたならば、埋もれてしまう。
 けれども、祐巳ちゃんの明るい茶色の髪には、本当によく似合っていた。祐巳ちゃんのために特別にあつらえたんじゃないかと思えてしまうぐらいに、そう、似合っていた。
 私はリボンを持ったまま、目を覆う。
 さっきまで掃除をしていた手からは、水っぽく、埃っぽい匂いがした。
 ――祐巳ちゃんの残り香があったなら。
「……」
 今日。私はこの部屋を出ようとしている。実家に戻るコトになったのだ。
 そうそう、ベッドを持ち上げたのは、このシングルベッドの下の衣装ケースを運ぶためだった。
 そう。当たり前みたいに、自然にこの部屋を出て行くはずだったんだけど。
 白い壁の前に、佇む祐巳ちゃんの幻が見える。
 狭いキッチンで、レパートリーを増やそうと苦闘している祐巳ちゃんの横顔が見える。
 ベランダから、布団を干しながら『マリア様の心』を口ずさむ祐巳ちゃんの歌声が聞こえてくる。
 やれやれ、と私は笑ってしまう。
 この狭い部屋で祐巳ちゃんと過ごした時間は、私が一人でいた時間よりも短いはずなのに。
 この部屋での思い出といえば、祐巳ちゃん、君のコトばかりが浮かんでくるよ。
 なんてことなくて、長くは続かなかった恋だったけど。
 君を、憶えてるよ。
 たぶん、君が思ってるよりもずっと正確に。
 きっと、ずっと大切に。
 私はリボンを窓辺に置いた。そうそう、どうしても角部屋がほしくて、この出窓が一押しになって、ここを借りたんだっけ。
 本当は、壁だらけの部屋だって気にならなかったんだ。
 それは祐巳ちゃん、君を招く時のことを、考えていたからなんだよ。両面壁の部屋じゃ息が詰まるだろうから、ね。
 荷物が散らばり、やがて空っぽになっていく部屋。
 それでもやっぱり祐巳ちゃんの影を残していて、私はまた少し笑ってしまった。
 手伝ってくれるというカトーさんに日取りを教えずに、こんな思いして一人で引っ越すのも。
 ただこの幻を、ずっと見ていたかったせいかもしれない。
「さてと……おや」
 口の開いた段ボール箱のそばに転がるのは、もう一周も残っていないガムテープの残骸。
 仕方ない、追加買いしてこようか。
 笑った後、私は静かに靴を履き、ドアを閉めた。


 私たちの部屋のドアを、そっと閉めた。

non title~中島美嘉 “will” からの構成~(マリア様がみてる・蓉子SS)

 あの頃って、僕達は、夜の空を信じてた。




《non title ~中島美嘉 “will” からの構成~》




 あの頃って私は、夜の空を信じてた。
 橙色の上から重ねられる藍色が濃くなり、乳白色の月が昇る。
 外を動くものがいなくなって静かになっていく世界は、まさに魔法がかかっていそうな、そんな何かに満ちていた。
 子供の頃は、おばけがでる魔法が。
 少し大きくなった頃は何か夢のような事が起こる魔法が。
 日付が変わるまで起きているようになってからは、何もかも特別で感傷的に見せる魔法が。
 6限が終わった講義棟の外で、私は未だ帰らずにいた。
 空から降り続く雨は、鞄の中の折り畳み傘で避けられるのに、出入口の壁に寄りかかったまま、ただどこかを見ていた。
 iPodのイヤホンを外し、腫れたような感覚の耳を揉むと、電話の声が甦ってくるような気がした。



『――で、来年の3月12日は空けておくと吉』
「来年の3月12日? ずいぶんとまた先の話ね」
『いやぁ早いのよ、結婚式の予約って』
 久しぶりの江利子の電話の内容は、唐突だった。
 電話を持ったまましばし、唖然となった。
『やだ、蓉子ともあろうものが唖然としちゃって。意外だわ』
「自分に関係ないことだもん知らないわよ結婚式事情なんて」
『蓉子、縁なさそうなの?』
「イヤミ? そんな仲になる人がいたらとっくに白状してるわ」
『回りに誰か一人くらいいないの? 友達とか』
「――いないわよ、あいにく」
『なんか珍しい……』
 純粋に興味深そうに江利子は言った。
「意外って、まだ私たち学生よ? 」
『でももう四年でしょ。周りは結構多いけど? 卒業を気に決断する人。くっつくだけじゃなくて別れるほうもね』
「……江利子、」
『目を閉じて見る夢よりも、目を開いてる時の幸せがいいなと思ったの』
「後悔しない?」
『後悔? 確かに私、部活も進学も適当に決めてるように蓉子には見えたかもしれないけど、ちゃんと責任は取ってるわよ」
「――ごめん、変なこと言ったわ。許して」
『まぁ相談の一つもしなかったのは謝るわ。けど、決めるのは全部自分の意思だから。今度は桁違いに重かったから、大変だった』
「私がまだ子供だってことかな……」
『なんか変な感じ、蓉子に説教垂れるなんて。でも、私たち今いくつよ?』
「おかげさまで、ひと月前に22」
『でしょ? 高校のあの時はまだ笑い話だったけどさ、蓉子も、そろそろ本気になって考えてもいいんじゃない?』



 四年生。
 間違いなくあと一年たたずに私はこの大学を卒業する。
 内定もとったし、司法試験もする気はない。もちろん単位を残すようなヘマもない。
 22歳の自分。
 私、一人だ。
 ポケットから、緑色に透き通る固まりを取り出し、何十度となく繰り返した動作でいじる。
「幸せはともかく」
 ぽ。
「しわ寄せなら私のところにいっぱい集まってくるわよ……」
 口元を隠すように、火をつける。
 大学へ来て覚えたのなんて、これだけか。
 指に挟んだ細い煙草に向けて、私は呟いた。
 お酒は一人じゃ淋しくて飲めないから、代わりにこうして煙草をつけるのだ。
 と言っても、ただ持ってるだけ。
 わざわざ害のある副流煙を目一杯吸って、服に煙の臭いをつけるために、私は高い小箱を買い続けているのだ。
 飲み会で冗談半分に渡されて口元まで運んだ時、友達から『仕草がかっこいいって』言われたから。
 だから、いまだにやめられないでいる。
 今日こそは、と口まで運んで吸い口にピンクの色をつけながらも、いつも私の息はそこで止まる。
 ためらいが、その続きをさせてくれない。
 この煙を吸ってしまったら。
 あの、マリア様の庭の空気をもう吸えなくなる気がして。
 我ながらばかだな、って思う。
 自分じゃその姿を見られないって言うのに、他人映りを気にしてるなんて。


 ずっと誰かに頼られてきた生活が遠い昔のことに感じる。
 今だってゼミも、卒論も頼られるけど、でも。
 ――ここには、妹はいない。好きだった人はいない。親友もいない。
 私は小笠原祥子の姉であるけれど、祥子の隣にいたわけじゃない。
 手を引いたけれど、腕を組む間柄じゃなかった。
 私のお姉さまも「お婆さま」も、妹やその「孫」に深い情をかける人じゃなかった。
 もっとあっさりしていた。
 私のお姉さまは、私が祥子と諍いを起こしたからと言ってリリアンまで飛び込んできたりはしないだろう。
 ましてや、妹と想いを遂げられるかなんて、思い悩んだりはしない。
 私は、どこまでも淋しかったんだろう。
 淋しい。淋しくてたまらない。

 恋が、したい。

 ふと、自分に恋人ができたら、と想像してみることがある。
 心も身体も結ばれたいなんて大それて思うわけじゃなく、なんてことない日常を共有したいと願う自分がいる。
 楽しくおしゃべりしたり、一緒に買い物へ行ったり、TVを見たり。
 普段自分が送っている日常に、互いに想い合える人がいたとしたら、と想像してしまうのだ。
 江利子のように。
 聖のように。
 ――祥子の、ように。

 恋がしたい、寂しくて仕方ない。

 こんな自分の情けなさに泣きたくなってくるけど、泣くことも出来ない。
 感情を表に出すのが苦手で、上手くコントロールすることも出来ない。
 今日も、喜怒哀楽のどの感情とも云えぬ感情を抱きながら、
 同じ生活を作業としてこなしている自分がいる。
 私、これからどうなるのかな。
 ――多分、ずっと、こうなんだろうな……。



 その日は、森が燃えているように見えたのを覚えてる。
 暗青色の空と白い空気。時折ねずみ色に光る雨。
 山向こうのグラウンドにある夜間照明は今日も灯されていて。
 オレンジ色の光が、霧雨の夜で煙る空気に拡散して、火事のような光景を作り出していた。
 構内をまばらな帰宅者たちが、次々と闇に塗りつぶされた色の傘を開いていく。
 それは、珍しくない、この大学の夜の風景だった。
 けれども、その夜だけは。
 誰かが仕掛けたように、燃えているように、見えた……。


※過去の自作の再掲

ミス・アンダスタンディング(マリア様がみてる・??SS)

※過去の自作の再掲
※推奨:『パラソルをさして』付近まで読了



「同学年じゃ姉妹になれないのかなぁ」
 と、由乃さんが急にそんなことを言い出した。


《 ミス・アンダスタンディング 》


「双子だって生まれた順で姉妹になるんだし、同学年って言ったって厳密には同い年じゃない。だから、同学年にも上下はつけられると思うのよね」
由乃さん、誕生日で厳密に区分しろって言いたいの?」
「違うわよ、姉っぽい方が姉になればいいってだけの話。学校の中だけだもの、自分よりいい子とか敵わないなぁと思った相手とかを『お姉さま』って仰いだっていいじゃない? 年の話は学年なんて関係ないって言うために出しただけよ」
「うーん、でも、やっぱり苦しいと思うよ」
「どうしてよ」
「スールってもともと、全ての『上級生』が全ての『下級生』に『リリアンの校風』を教えて導いていくっていう制度だもん。ロザリオの授受をして特定の誰か一人を作るなんて、ある意味おまけみたいなもんだし」
「――分かってるんだけどねぇ」
 由乃さんはペンをくるくるくると連続で回して、凄く不満げな顔をして言った。
「でもさ、いまリリアンでそんな模範的な形の姉妹ってあるの?」



 スールと姉妹の違いってなんだろう。
 カトリックだから、神に仕えるシスターと混同しないようにだろうけど、そもそも何故フランス語なのだろう。
 試しにドイツ語で引いてみるとシュヴェスター。なるほど、これならスールの方が言いやすい。
 けれどそれ以前に、どうしてこの関係を『姉妹』なんて呼ぶのだろう。
 本当の姉妹のように教え導くとはいうけれど、実際本当の姉妹なら、姉は妹にどう接するものだろうか。
 どの姉妹なら、本当の姉妹であってもおかしくないだろう。
 独断と偏見だけど、血の繋がった姉妹という意味なら、話を言い出した黄薔薇姉妹のところが最も近いと思う。
 リリアンの中には、本当の姉妹同士で契りを結んだケースだってあっただろうけれど、従姉妹同士のこの二人ほどそれっぽく見えるとは思えない。



由乃、そんなに誰かの姉になりたいの? 祐巳ちゃん? それとも志摩子?」
「お姉さま、そんなんじゃありません。ただよくも知らない一年生を捕まえるよりは、身近にいてよく分かっている相手を妹にしたほうがいいんじゃないかと思っただけです」
「よく知らないのは、由乃が一年生にちゃんと接してないからじゃない?」
「お生憎様。薔薇の館という敷居の高いところで仕事をしていると、会える一年生なんて乃梨子ちゃんくらいですから」
「ここだけじゃないでしょ。由乃は剣道部だって入ってるじゃない、そこで探せば…」
「だから剣道部の中じゃダメなの、もう知らないっ、令ちゃんのばか!」



 令さまを間に挟んだ江利子さまとの三人姉妹。
 本当の三人姉妹も、真ん中がこんなに大変なのかは、『姉妹』の成り立ちと同じくらい、今だもって謎のままだ。
 そこからいくと白薔薇姉妹に似合う言葉は……同志。
 みんなが持たない、口にできないハンディを抱えているから、日々を過ごしていくために欲しい仲間。
 ハンディの重さも方向性も違うけれど、先代白薔薇さま聖さま志摩子さんの関係もそんな感じだった。



「――お姉さま、由乃さまの妹になりたいですか?」
「なってもいいけど……ちょっと大変そうね。乃梨子は?」
「私も同じかなぁ、っと、同じです。私の思うに瞳子とかなんか、由乃さまにはあってると思うんですけど」
「そうかしら。それはちょっと違う気がするわね」
「どうしてです?」
「何となく、よ。――スールって、他の人が見たときに、似てないと思われる人とのほうがうまくいくと思うの、きっと」



 感じだった……だろうか。
 ふと、閃いた。
 学校が学校だけに。相手が相手だけに。
 こんな言い方が許されるのかは分からないところだけど、
『はぐれ者たちがつるんでいる』
 なんて表現をあてたほうがしっくりこないだろうか。
 聖さま乃梨子ちゃんは苦笑して納得しそうだけれど、こう言われたら志摩子さんはどんな顔をするだろう?
 最後、紅薔薇姉妹は、教師と教え子のよう。
 ある意味、一番正しく『スール』の意味を理解し実行している、と思う。
 年上の何でも知っているお姉さまが、手取り足取り教えているようで、実は教え子の妹から実に多くのことを教えられているのだ。



「はい黄薔薇姉妹を『本当の姉妹』、白薔薇姉妹を『同志』だと思われているのは分かりました。それで、ここから何をおっしゃいたいんですかお姉さまは?」
「うーん……授業中この話ふと思い出してね、今の私と瞳子だったら回りはどう見てるのかなーって聞きたくなったの」
「はぁ? 珍しくミルクホールまで呼び出されるから何事かと思っていましたのに、長話してたったそれだけですか?」
「それだけって、重要なことじゃない。ねえねえどう思う? 私たち姉妹って、回りからはどう思われてるかな?」
「何を期待されてるのか知らないですけど、お姉さまが祥子お姉さまの妹でなければ、学園の他のスールと何も変わりません。そもそもスールになったかさえ怪しいですわ!」
「そんな、いきなりむげに言わなくたって……」
「ならスターの追っかけ同士が、たまたま仲良くなってしまった。そんなところですわ」
「うー、ぜんぜん可愛くない」
「それで結構です。ロマンスを求めるなら、もう少しお姉さまらしく振舞えるようになってからにしてくださいませ」
「ひどい――追っかけっていうなら、今は祥子さまより瞳子の方を追いかけたい気持ちなのに……」
「ちょ、ちょっと祐巳さま?」
「お姉さま、よ。瞳子……」
「し、知りませんわそんなこと! ね、ねね熱でもあられるのではありませんことでしょうか?」
「……ふふー、なんだかんだで、やっぱり私のこと気にしてくれてるんだ」
「!?」
「だって瞳子があんまりにもひどい事言うんだもん。ね、これでちょっとはドキッとしてくれた?」
「――そ、それで、か、からかったおつもりなんですか! いい加減にしてくださいっ!!」



 一度は妹として、一度は姉として。
 スール宣言を片手に私に会いに来た祐巳さんの顔が忘れられない。
 姉とも、妹とも、最初は何も共通点を持たないかに見えたひとりの少女が、英雄的行為を成し遂げた。
 しばらくの間、人々は食堂や教室でその話題を口にしながら、いつか自分もと最良の夢に思いを馳せたのだった。



「……そうか。スールの契りを、『告白』なんて考えなければ抜け出せたのか――」



 他人が遠慮するステディな関係、なんて生々しさを嫌がって避けていたというのに。
 私の定まるところを知らない血は。
 スールというものになら、もしかしたら安住の地を見つけられたかもしれなかったのだ。

 しかし、私はもう引き返せなくなっていた。
 紅薔薇姉妹の口論は続いていた。
 私はまた、二人に向かってシャッターを切るのだった。

正映鏡(マリア様がみてる・瞳子SS)

※過去の自作の再掲
※要:『妹オーディション』読了


《正映鏡》


 寝不足気味の頭を振って、私は今日も、鏡の前に立つ。
 寝乱れたままの髪の毛に右手を当てると、『鏡』の中の私はいつも通り、向かって左側の手……『右手』を上げた。
 ぼうっとしていた頭が、見慣れているその光景に一瞬ぎょっとなる。
 その情けない顔も『鏡』は何も言わずに映し出す。その光景が、私にふと、学園祭前のことを思い出させた――。


「……何でこんなに大勢でくるんですか」
「えー、だって瞳子ちゃんが『面白いものを見せますから来てください』って言ったんじゃない」
「それはそうですけれど…」
 ある日の放課後。私は祐巳さま――結果的には、祥子さまを除く山百合会フルメンバーを、演劇部の道具置き場に呼んでいた。
「それより何、面白いものって」
祐巳さんだけにしか見せられないようなものなら、私も乃梨子も戻るけど……」
「焦らなくても、逃げるもんじゃありませんし、誰にでも見せられるものです――これですわ」
 言いながら私は大道具のひとつに近づき、かかっていた覆いを一息に外した。
 そこから現れたのは……一枚の全身鏡。
「この、鏡?」
 半分は声、半分は視線で。半信半疑を主張しながら6人が「面白いもの」の正体を見ている。
「そうですわ」
「どこにでもある普通の鏡じゃない」
 と、『鏡』に手を伸ばした由乃さまが、次の瞬間面白いほど顔を引きつらせて凍った。
「れ、れれれれれ令ちゃんこの鏡のろわれ……」
 それは驚くだろう。右手を伸ばしたら、鏡の中の自分も右手を出してくれば。白薔薇姉妹も恐る恐る手を出しては、やはり起こるおかしな現象に驚いている。
「ただの鏡じゃないのね」
「ええ、『正映鏡』というのですわ。正しく映る鏡と書いて」
 令さまの問いかけに、私は得意げに鼻を鳴らす。
「簡単に言えば、他人が見ている『本当の自分』を見られる鏡、なんです」
「……瞳子、どういう原理なの、これ?」
 一番早く立ち直った乃梨子さんが、興味深そうに鏡へ近づく。私はキャスターのついた鏡自体をくるりと回して、それに応えた。
「鏡二枚を直角に当てて透明ガラスをはめ込んで、こんな風に三角形を作るんです。そして中に水を入れる……そうしてつなぎ目を消すのがポイントなんだそうで」
 二つの鏡に跳ね返った像が、こうして、「正しい向きに」映し出される。ただ、これだけ大きいものは珍しいんですよ、と最後に私は付け加えた。
「原理は分かったけれど、こんなのいったい何に使うのよ?」
 醜態を見せたと思ったのだろうか、由乃さまがいつも以上に険悪な声で突っかかってきた。よほど恥ずかしかったに違いない。
「演劇は、常に他人の目を意識しなければいけませんから」
 だけれどそれを斟酌しないで私も、あっさり答えを切り返す。
「動きが観客にどのように映っているか、表情はどう見えているか、それをチェックするために必要なんです。後はスポーツ選手がフォームを確認するときなどに……って祐巳さま!?」
 そうだった、他の人に気をとられ、一番見せたかった人が視界から消えていた。
 いつの間にここまで来ていたのだろう祐巳さまは、鏡の隣で説明していた私の首に腕を掛けると、無理やり正面に連れ出した。
「ちょ、ちょっといきなり何するんですか!」
「すごいよ、こんな面白いもの、どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」
「た、たまたま思い出しただけで別に…」
「だってすごいよ、鏡にもここにも、いつもとまったくおんなじ瞳子ちゃんがいるんだもん」
「普通の鏡だってそれは変わらないでしょう?」
「違うよ、さっき瞳子ちゃんが自分で言ったじゃない。この鏡は『本当の姿』を映し出してくれるって」
「自分で自分の姿を見た時の話です、それは」
「なら……いつも瞳子ちゃんの瞳には、私が、こんな風に映ってるんだね」
 はしゃいでいた祐巳さまの視線が、その瞬間、艶のあるうっとりとしたものに変わった。
 私は、背中にいながら正面に立つ『いつもの祐巳さま』と目を合わせてしまう。
(……どうして私は、祐巳さまにこれを見せようと思ったんだっけ)
 物思いにふける暇を与えず、鏡はどこまでも正直に、真っ赤になっていく私の顔を映していた――。


 制服を身につけ、もう一度私は、自分の持つ正映鏡の前に立った。
 鏡に映る、「他人から見た」自分。
 ひねくれて、この髪のように気持ちが渦を巻いて、いつまでも素直になれない私……。
 だめ……今はまだ、言えない。こんな自分のまま、オーディションになんか出られない。周りにどんなに言われても、乃梨子さんにお節介されようとも……。
 でも、もしも何かあったら。自分が自分の行動を許せる、そんな日がきたら。そのときは、きっと……。

 だから神様、もう少しだけ…………。

〔x〕なき夜に姫は眠る(ぼくたちは勉強ができない・文乃SS)

虫の音が、りりりと鳴って。
窓はしまってるのに、鼻の奥に、外のキンモクセイの香りがする。
腰を下ろしたラグの上から俺は、ベッドの上で、あどけない顔をして眠る文乃を眺める。
ずっと繋ぎっぱなしで、しっとりとした手を組み替えようとして。
幸せなそうな寝顔を崩したくないから、やはり止める。
思わずつつきたくなる、柔らかそうな頬も、眺めるだけにして。
眠る前に交わした約束、その言葉をひとり、思い出す。



「眠るまで、手をつないでいてほしいの」



――お父さん、今日は学会で帰らないから。
あの時みたいに、握っていてほしい。
ふたりで過ごした帰り際、服の裾をつままれ、突然、文乃から消え入りそうな声でそんなことを言われた。
流されるまま彼女の入浴と、着替えを待ち、夜に立ち入った彼女の部屋。
文乃は言葉もほとんど交わさず、電気を消し、ベッドに潜り込む。
「……あまり元気なかったのは、今日からその、あの、そういう日だから」
「あ……大丈夫、水希いるし、俺も最低限は、うん、分かるよ」
照明が消え、カーテン越しの光に、青みがかったモノトーンになった部屋。
見覚えのあるもの、まだないもの。いろんな文乃のものを見渡しているうちに、また、微かな声が漏れる。
「……ごめんね彼女なのに。いろいろ、考えさせちゃった?」
「ううん、大丈夫。安心して休んで」
それでも、文乃の顔は冴えない。
空気を変えたくて、俺は腰を浮かせ、立ち上がる。
「窓開けてもいい? ここから星、見えるかな」
「……いい」
固まった声が届く。
振り返った先で、上半身だけを起こし、口元まで布団を寄せて、一枚の絵画のような文乃が、俺を見ている。
「きょうは、いい」
「そっか」
そのままベッドのふち、足先の方へ座る。
言われた約束を果たすため、どちらの手を取ったらいいかなと考えつつも。
俺は、実際に自分の腕を伸ばすのを、ためらってしまう。
代わりに、この部屋、秒針の音がしないんだなと場違いなことを考えて、なんとなく、文乃の声を待つ。
「……今度ね、大学祭で、プラネタリウムをやるんだ」
見つめるだけの沈黙に耐えられなかったように、文乃がまた、口を開いてくれる。
「そうなんだ」
「一年生みんなでね、台本作って、読むの」
「今の星空? ペガスス座とか、フォーマルハウトとか?」
無言で首を振る。
「それもあるんだけど。聞いてくれる?」
短く息を吸い。
俺の視線と呼吸も、吸い込んで。
それきり、文乃の声が、舞台の上にあがる。



――夏や冬の夜空に比べて、秋の星空は一等星が少なく、淋しく感じるかもしれません。
その中でもひときわ目立つ、ペガスス座の四辺形。そしてそこから、南に伸ばした先、みなみのうお座の口に輝く、一等星のフォーマルハウトは大変有名です。
ではきょうの私たちは、さらに南、ずっと南に降りていきましょう。なんだか、温かくなってきました。
……さあ、ここはシドニー、オペラハウスの前です。

俺の目にひとりの顔が映し出される。
そして文乃の様子の原因を、勝手だけど、想像する。

――見たことのない夜空が写っています。見慣れた星座は形が逆さま。低く地を這うはずのさそり座は天頂付近に輝き、天の川はまるで雲のように濃密に輝きます。

この夜空を、きっと毎晩、見上げるひと。
武元うるか。
そう、なんだろうか。

――南半球の夜空は特徴的ですが、南十字星、サザンクロスを抜きには始められません。北極星のような南を示す星がない南の空、船乗りたちはこの星座を頼りに、未知の海へとこぎ出しました。
でも、ご用心。南十字には、偽物がいるのです。

そこで文乃は解説を切り。
困り笑いのような顔を、作って。
指先を、平らな部屋の空に向けた。

――にせ十字は、昔存在した、空を行く船の星座・アルゴ座の船の部品、ほ座とりゅうこつ座の星を結んで現れます。揃った二等星の明るさで、本物よりも大きく、先に夜空に現れます。
初めて見る皆さんは歓声をあげますが、2つの一等星が輝く本物は、その後にやってくるのです。慌てん坊の船乗りは、この輝きを見ないまま、暗い夜の海でさ迷ってしまったかもしれません。

「自分が、にせ十字かもしれないってこと」
たまらず俺は、さえぎるように言葉を挟む。
「違うのっ、謝るのは、うるかちゃんの方なのっ」
今度こそ意味が分からない文乃の台詞は、すぐに涙声に溶けて。
それきり、しゃっくりあげる彼女の背を、俺はただ、撫で続けるしかできなかった……。

それからどれだけ時間が経っただろう。
遠慮がちに俺が座ったベッドサイド。
彼女の右手を、今さらのように左手で押さえて。
さっきよりは近づいた俺たちふたりの間に、諦めたように、文乃が言葉を置き始める。
「……わたし、成幸くんの彼女でいられて、毎日幸せで。やりたいことは、どんどん叶っていって。彼女らしいわがままなんて思いつかなくて。だから、時々たまらなく不安になる。彼女として、幸せすぎることが」
跳ね上がった心臓の音が、部屋の空気を震わしたようで、怖くなる。
まるで、自分の胸の中の日記帳を、文乃に読み上げられたような気がしたから。
見ているだけで胸が潰されそうな、不思議な笑みを浮かべて、文乃が、話しかけてくる。
「――そんなとき、この台本がきて。練習してから、夢を見るの。うるかちゃんの、夢」
「うん」
「先に空に上がってきて、成幸を惑わしちゃってごめんね。これからは彼女の文乃っちが、正しい方へ導いてねって。謝るの。わたし行ったことないのに、夜の、オペラハウスの前で。笑顔で」
掛け布団のすそが引かれて。
ことばの調子が、強くなる。
「こんなに時間がたったのに。うるかちゃんの思いも知っているのに、夢の中まで都合よく謝らせて、自分の気持ちを守ろうなんて。なんてわたし、嫌な女なんだろうって」
ぽろぽろ。
ぽろぽろ。
掛け布団の上に、音を立てて雫が落ちる。
「こんな彼女、成幸くん、嫌いになるよねって思う。そんなこと、考えただけでもこわい。でも自分でどうしたらいいかわからなくて。助けてほしくて。わたし、おかしくなっちゃいそうで」
――ああ、文乃。
口を開くのが、怖い。
だけど、俺もただ正直な思いを伝えたくて、話し出す。
「解説を聞いて、俺もすぐ思い浮かんだよ。文乃はすごく嫌だと思うけど」
びくん。
俺が座るところまで、震えが伝わる。
「俺たちがうるかのこと引きずるのは、仕方ないんだと思う」
うるかだから。
悔しさも、腹立たしさも、笑い飛ばしながらあけすけに言ってくれる、うるかだったから。
夢に向かって旅立とうとするその時に、ふたりがかりで『ごめんね』を告げて、俺たちは結ばれた。
「でも」
……こつん。
額を合わせて、俺は告げる。
「それなら、一緒に引きずるよ。いつまでも」
視界いっぱいの文乃から、驚きが伝わってくる。
「すり減って、すり切れて、それがなくなってしまうまで」
そこまで言って俺は彼女を抱き寄せ、頬を寄せる。
「離さない。俺は文乃に恋してる。いまも、これからもずっと」
そしてもう一度、お互いの姿が見つけられるように、身を離して。
あの星空の下の約束の通り。
その肩が震えないよう、優しく、でもしっかりと支える。
「文乃は、優しい。それは、俺がとっても好きなところだよ。でも、俺たちこれまでは『いい子』でいようとしたんだ。もう少し、ずるいやつらになろうよ」
「……っ……」
「とことんまで引きずりながら、でも、ずっとふたりでいようよ」
「……っ……なりゆきくん……!」
勢いよく流れてきた髪が、俺の目の前をさえぎる。
花園で目を閉じたように、文乃の香りでいっぱいになる。
今度は俺が、愛してる文乃の腕の中に包まれ、頬に熱を感じる。
「めんどくさい彼女でごめんね。甘えてばかりで、ごめんねっ……」
「……ふふふ。不安でも心配でも、俺の『彼女』だってとこは、ぜったい譲らないんだね、文乃?」
「え」
「いま自分のこと、たくさん『彼女』って言ってたからさ」
「あ……」
「嬉しいよ」
俺の忍び笑いに身を飛び退かせ、華奢な指をいっぱいに開いて、文乃が口を隠す。
「……いま、何か、言いかけた?」
「……うん。いまの成幸くん、なんかちょっとりっちゃんみたいだったなって」
そのことばに、記憶から緒方の顔が飛び出し、俺は少し慌ててしまう。
それが見えたのか。
器用に。
くすくす笑って、文乃が、俺の動揺に応える。
「わたし、わかっちゃった。だからもう、だいじょうぶだから」
ささやかに反らせた胸から、自信に満ちた、彼女の声が紡がれてくる。
「だってわたしは、唯我成幸くんの最初で最後の彼女、古橋文乃なんだもん」
文乃が俺の掌を握る。
「そう成幸くんが、保証してくれてるから」
これまでなかった強さで、痛いぐらいに、ぎゅっと。
「だから覚悟してね成幸くん。わたし、決めちゃったよ。この手は、何があっても離させないよ」
俺も、その手を包み返す。
「うん、だいじょうぶ。文乃は怒ると怖いから」
「もう」
繋いでいた手がもう離れ、俺の鼻の先を遊ぶようにつつく。
知ってるよ、文乃。
俺たちが繋いだ手は、目には見えない。
誰も触ることなんて、できないよね。
「――窓、開けようか」
少しの見つめ合いのあとで、俺は窓に向かって体をよじる。
夜の風がまだ、あの秋の香りを運んでくれるはずだと思って。
けど、文乃は静かに首を振る。
「きょうはいいの。星より大好きな成幸くんの顔を見ていたいの」
浮かしかけた腰をまた下ろし、俺は大好きな彼女の髪を指でとかす。
この思いが、言葉にできなくて。
指先からそれが、少しでも伝わればといいなと願って。
「――きょうは、幸せなきもちで眠れそう」
改めて彼女が、身を横たえる。
自然と俺は、ベッド下のラグに身を移し、彼女の利き手をとる。
「おやすみ、文乃」
幸せな眠りが訪れるように。
俺はそのおでこにひとつだけ、唇に乗せた思いをのせる。
それで、満足したように。
眠り姫が、瞳を閉じる。
「……おやすみなさい、成幸くん」





「……くん」
見つめ続けていた、満面の笑みの口元が緩み、しばらくぶりに、愛しい彼女の声がする。


「……なりゆきくん、おかわり……」


――これを聞いて、静かにしたままでいろって?
いじめのような文乃の一言に、笑うのを必死にこらえ、俺はその顔を優しくにらむ。
「待ってて、文乃」
まずは言いつけ通り、額にもういちど唇を落とし。
眠りに落ちるには不自然な服と体勢だけど、彼女が待つ世界へ、俺も意識を向けていく。

明日は、誕生日のプレゼントを買いにいこう。

それだけを思い出しながら、俺も、いつしか心地よい眠りに誘われていった。


[x]なき夜に姫は眠る
fin